つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党
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一つ屋根の齎すもの〜富山型デイサービスの現場で〜

「このゆびとーまれ」を訪問して、何とも自然な雰囲気であるとの印象は以前の記事でも触れた。そうした自然な空間を維持するためには人手がかかることも書いた。多くの人が運営に係るなかで、運営に携わる側の人々にも様々なドラマも生まれている。伺った際、西村副代表は「私たちの方が教わることが多い」としみじみとした口調でその一コマを語ってくれた。

『このゆびー』で働くスタッフは28人。そのほかに有償ボランティアが6人。有償ボランティアは全て養護学校の卒業生で、年間30〜40万円程度の報酬を支払っている。そのほかはみな「お昼だけ食べていってください」という以外は一切無償のボランティアだ。
無償ボランティアは主婦も多い。そのなかに家庭のなかがうまくいかず、心の病を患った人もいた。家にることが堪えられないという事情もあり、『このゆびー』のボランティアに応募した。週1回のボランティアだったが、利用者やスタッフとのふれあうなかで本人自身が癒され、いつの間にか病気も完治した。「私は死ぬことも考えていました。お陰で命拾いしました」。後に本人が漏らした言葉に西村さんは初めてハッとしたという。
ホームページ等でボランティアに常に門戸を開いている『このゆびー』。最近はニートの応募も目立つという。「最初はお母さんときます」。人との関わりになれていないため、最初は外で車洗いの仕事などをしてもらうというが、だんだん慣れて楽しみに通ってくる人も多いという。
”子どもから高齢者まで、障害のあるなしに関係なく一つ屋根の下で暮らせる”そんなある意味当たり前のケアサービスを提供したとの思いではじめた事業も、はじめのうちは「あそこは法律に違反したことをやっている」と陰口をたたかれた。創設メンバーの情熱で今日に至った『このゆびー』の運営はいまでも決して楽ではない。それでも多くのドラマを紡ぎだしている『このゆびー』。こうした取り組みを支援する施策を打つことはもちろん大切だ。ただ、少なくと『このゆびー』のような”場”は制度をいじるだけで創出できるものではないことも確かだ。

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「10月以降、支援費の額が10%以上さがってます。お陰で借入金の償還資金がすっ飛びました」「いまの単価設定は、新規に事業をやろうとする法人のための単価設定になっていない。生産活動を行なうための設備投資の資金までは支援費ではでないんです」「これから福祉工場など障害者の就労の場を増やしてゆくためには行政の考え方を変えていくことが不可欠」。大西専務理事の口からは厳しい言葉が続く。ただ、その一方で「うちで働く障害者は半数以上が重度ですが、それでも仕事はあるんです。できるんです」「働いて給料をもらって、税金を納める。それを可能にするかどうかは、本人と家族と、そして行政の意識の問題なんです」と語る言葉に力がこもる。

『C・ネットふくい』で障害者が携わっている仕事は、極めて多岐にわたっている。▽コシヒカリや野菜の生産・販売▽ベーカリーの製造・販売▽平たねなし柿による干し柿の製造▽餅菓子の製造・販売▽天然塩の製造・販売▽花卉の販売▽クリーニング▽コインランドリー▽リネンサプライーなどなど。販路のひとつとして自前のコンビニなども展開している。
就労・雇用促進に向けてどのような仕組みを考えるべきなのか、根底にある考え方は(1)職の提供は食の提供、障碍者の生活自立支援の根本(2)個々に合った職業の提供は、個別支援計画の一部(3)顧客の満足する「ローコスト・満足福祉」の追求は、福祉関係者・施設経営者の責務(4)良質な職員の育成が障碍者の就労・雇用支援に不可欠ー。理念もさることながら、これだけ多くの就労の現場を抱えているだけあって、個々の特性に応じていかに安定的な就労に結びついてゆくかについてのノウハウを蓄積していることが何よりの強みだということを訪問して感じた。
また、特に(4)の「良質な職員の育成が障碍者の就労・雇用促進に不可欠」という点に関して「C・ネットふくい」の取り組みは参考になる。障害者の就労を支援するためこの世界に飛び込んできた職員は、少なくともその当初は誰にも負けない情熱を抱いていたはずだ。そうした情熱の炎も、自分の意見が組織の中で取り上げられず、逆に組織の側の論理を押しつけられていては、やがては萎えてしまう。職員のやる気が萎えてしまえば、結果として障害者の就労・雇用を促進する方向への推進力も萎えてしまう。どのような組織であれその盛衰の鍵を握るのは所詮は人だ。
この点に関して、「C・ネットふくい」は全職員に対して、現在の率直な思い、法人の将来への希望・不安、事業に対する提案等について意向調査を行い、その結果を踏まえて間髪入れずに改善策を講じている。この取り組みは一般の民間企業でも学ぶべきことだと思う。
「福祉だから、障害者だから」という言い訳だけをいい募っているだけでは、これから先も障害者の雇用は進まない。促進するための施策も重要であることは勿論だが、いかに優秀な人材を集めるか、その人材を活かすのかがこれからの重要な視点になってくるのは間違いない。
◇          ◇           ◇
冒頭の写真は、職員の自家用車を洗車・ワックスがけしている光景。「一般企業に就労した障害者がリストラされて、何か仕事はないかと考えて見つけた仕事です」(大西専務理事)。ボディに食い込んだ鉄粉を粘土で丁寧に落とし、ワックスがけまでして料金は3,000円也。1日2台で少なくとも2人分の人件費はでる。「ここは工業団地の一角にありますから、その立地を生かして各工場にも営業をかけて、仕事が途切れることはありません」。真剣に探せば仕事はどこにでもあるということ。

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「なぜ雇用と非雇用を区別しなければならないのか。

国は、生活介護の制度を造っておきながら、なぜ非雇用の人たちを生活介護の支援としないのか。それは、施設経営者が障碍者を金儲けの材料と考えているからでしょう。私は、障碍者の尊厳を無視した、金儲けの輩には同意も協調もしません。

(中略)私の今年の活動は、障碍者を出汁(ダシ)にしての金儲けの亡者と打算家との戦いであることをお知らせしておきます」(C・ネット福祉会 松永正昭会長『C・ネットは「非雇用はしない」について』から引用)

障害者自立支援法において、・施設を出て就職した者の割合が少ない(1%)・授産施設の工賃が低い(平均月額15,000円)・離職した場合の再チャレンジの受け皿がなく、就職を躊躇する傾向があるー等これまでの反省を踏まえ、一般企業(特例子会社を含む)への就労に結びつける前段階として新たに就労継続支援事業が創設された。

就労継続支援事業はさらに雇用型(A型)と非雇用型(B型)という2つのタイプに分けられる。このうち雇用型は文字通り雇用契約に基づく就労であり、労働関係法令の適用を受ける一般的な形態、労働者としての権利が保障された就労形態だ。一方、非雇用型は就労移行支援事業を受けたが一般企業や雇用型の就労に結びつかなかった者の就労形態であり、雇用契約に基づかず、賃金(工賃)も最低で月額3,000円程度と極めて低い。
ここで押さえておかなければいけないことは、障害者が一般企業への就労、または雇用型の事業に就けるかどうかは、本人の能力の問題ではなく、本人が暮らす地域にそれだけの受け皿が整っているのかどうかにかかっているということだ。障害者雇用の促進を目指して福井県内に通所授産11施設、福祉工場8施設を展開する社会福祉法人「コミュニティーネットワークふくい」(愛称C・ネットふくい)。

そもそもの設立母体は「手をつなぐ親の会」で、平成3年に通所授産施設「クリエートプラザ金津」を開設したのを皮切りに翌年には福祉工場「エフエフ福井」を創業。その後も矢継ぎ早に県内各地に授産施設、福祉工場を展開している。ちなみに福祉工場は全国に60数施設あるがそのうちの10施設が福井県内に集中している。
「親の会の会員は県内各地にいる。授産施設・福祉工場を各地域に造ることは当初からの構想でした。

ただ、15年で20カ所と急速に増やしていることに対応した職員の養成などは大変です」と語るのは『C・ネットふくい』の大西澄男専務理事。
現在、通所授産施設で205名、福祉工場で197名。企業への就職者86名への支援を含めると県内知的障碍者の57%の就労をサポートしている計算になる。
これだけの就労を支えるためには、それに見合った仕事がなければならいないことになる。それも単発ではなく持続性のある仕事を常に探し求めなければならない。この点について、「C・ネットふくい」の取り組みは非常に学ぶべきものが多いといえる。(続く)

制度の壁を乗り越えた先に広がる地平〜富山型デイサービスの現場で〜

”子どもから高齢者まで、障害のあるなしに関係なく一つ屋根の下で暮らせる”そんな共生社会の実現を目指す試みとして、平成15年から構造改革特区事業として実施されていたいわゆる「富山型デイサービス」(制度的には高齢者を対象とする介護保険の通所介護事業所でも知的障害者、障害児のデイサービス利用を可能にすること)が10月から全国どこでも実施できるようになった。当然、私の住む船橋でもやる気になればできるようになった。

富山型デイサービスは、平成5年富山赤十字病院に勤務していた3人の看護師が退職金を出し合って開設した『デイケアハウスこのゆびとーまれ』から始まった。現在のNPO法人「デイサービスこのゆびとーまれ」理事長惣万佳代子さんらが、”お年寄りがお年寄りらしく生きられる居場所”をつくりたいという”当たり前の動機”から行動を起こし、縦割り行政の壁、制度の壁と闘いながら、徐々に共感の輪を広げ、富山型デイサービスとして全国的な評価を得るまでの経緯は『このゆびとーまれの公式ページ』に詳しい。
たった3人から始まった富山型デイサービスが、どこでも実施可能な新たなスタンダードとなった。富山型デイサービスはこれから全国に広がってゆくのか。『このゆびとーまれ』の西村副理事長は「制度化されたことが本当に喜ぶべきことなのかどうか」とも語る。

制度の壁を乗り越えた先に広がる地平〜富山型デイサービスの現場で〜

このサービスの草分けとなった「このゆびとーまれ」を訪問した私自身の感想は、何と言っても自然な雰囲気。開放的な室内の片隅に椅子に腰掛け本のページをめくるおじいちゃんがいて、その傍らでおしゃべりしながら手作業をする子どもとおばあちゃんがいて、いっしょになって談笑するボランティアの学生がいて・・・。みなそれぞれに認知症や知的障害などハンデを負っているのだが、お年寄りから子どもまで障害のあるなしにかかわらず一つ屋根の下にいる、そんな空間が何とも自然で、そこに身を置く私自身も落ち着ける、いつまでもここに腰を落ち着けていたい気分になる(但し、私たちの応対をする間も西村副理事長はじめスタッフの方々は周囲への目配りを常に怠っていませんでした。即ち自然な空間を維持するためには多くの人手を必要とするということです。)

さて、今後こうした自然なかたちのデイサービスが全国的に広まってゆくのだろうか。そもそも富山型デイサービス発祥の地である富山市では今後の展開についてどのように分析しているのか。(障害者のデイサービスについては訪問した時点でもまだ混乱があり、行政としても正確なデータを示すことはできませんでした。この点についてはご容赦ください)
「富山型デイサービスを標榜する事業所は市内で30以上ありますが、ほとんどは介護保険(高齢者)のみの利用で、障害者を受け入れている施設は極めて限られています」とは富山市障害福祉課の説明。
「制度化の善し悪しはこれからの流れの中で見極めていかなければなりません。私たちは目の前のニーズに合わせていたらこうなったといこと」とは『このゆびとーまれ』の西村副理事長の弁。
制度の壁を乗り越えたといっても、事業所の経営を左右する肝心の制度は依然として縦割りのままだ。高齢者については介護保険、障害者については自立支援法に基づく報酬、障害児についてはレスパイト事業に対する助成といった具合で、こうした事業を永続させるために責任を持つセクションが少なくとも国には存在しない。また、”高齢者から子どもまで、障害のあるなしにかかわらず一つ屋根の下で”という形態でのサービス提供をするかどうどかは、事業主体の考え方次第でもある。
「私たちもこのかたちが決してベストだとは思っていません。高齢者だけのほうがよいという方はそちらに行けばよいし、要は利用者の選択の問題です」
ただ、そうした選択肢が身近にたくさんあることの意義は大きい。「誰もが一つ屋根の下で」という理念を持つ事業所が育つ環境づくりをこれからはそれぞれの地域が考えてゆかなければならない。

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「基本的に障害をもつ子どもの就学先について、教育委員会と保護者の考え方が対立するということはありません」
メモを取る手を止め、しばし頭の中で何とか考え方を整理しようと試みた。「私の質問の仕方が悪かったのか?」「船橋では3分の1の保護者が就学指導委員会の答申を受け入れていない」「かつて教育委員会の幹部と意見交換した際、『船橋のやり方が本人のためを考えた際、最もいいんです。』と語っていた」「しかし、船橋の対応が必ずしも最善とは思えない」「本人のためにどちらが本当によいのか?それは理屈ではない。本人の生き生きとした表情がこの問題に対する回答を雄弁に物語っている」「教職員やそれをサポートする人材の配置が特に手厚い訳ではない。もちろん教員の資質がどうのとう問題でもない。一体何が違うというのか?」
あれやこれやと考えを巡らせている場所は、大阪府枚方市の公立小学校の校長室(注=冒頭の写真は本文とはほとんど関係ありません。枚方市では全小中学校にAEDを配備しているというお話を伺い撮影した一コマです)。
伺った小学校は早くから養護学級が設置されている学校だが、実はこの学校の養護学級に在籍する児童の一人は、千葉県内の小学校に在籍していたMちゃん。親の仕事の関係で枚方市に引っ越しっていったのだが、引っ越し先の教育環境が極めて良いとの便りを聞いて、自分の目で確かめたいと思い、教育現場を訪問させていただいた。校長先生は「なぜうちのようなごく当たり前の学校に?」と、いささか当惑されたご様子だったが、少なくとも私にとっては大違いなのだ。

何が違うのかを伺った話をもとに整理してみると・・・

□全ての小中学校に特殊学級(大阪では養護学級)が設置されているか
□こどもの就学指導に際しては、保護者の意向を最大限に尊重しているか
□「ともに学びともに育つ」という考えに立ったカリキュラムが作成されているか
□全ての教職員が在籍する障害児の名前を知っているか
□学区内で養護学校に通うこどもやその保護者を行事に招待したり、定期的に交流する機会を設けているか
□勉強もちゃんと教えているか
□部活にも参加できるか

要するに上のようなチェックリストの全ての項目にチェックが入るのが枚方市ということになる。枚方に限らず、大阪府の場合どこも大体同じ結果になる(大阪府全域の養護学級設置率は平成18年5月現在小学校97.6%、中学校97.8%にのぼる)。
人口約40万人の枚方市には公立の小学校が45校、中学校は19校あるが、このうち特殊学級(大阪では養護学級という)の設置率は平成17年度で小学校97.8%、中学94.7%。今年度(18年度)は残る小学校、中学校各1校に特殊学級が設置され、障害の有無にかかわらず地元の学校で受け入れる体制が整った。
こどもの就学指導については、いま現在、幼稚園、保育園に教育委員会の担当者が訪問してこどもの実態の把握をおこなっているところで、次の段階として9月以降、保護者との面接を行ない、意向を聞きながらどのような就学先がよいかの話し合いを行なう。その後も保護者からの要請があれば随時面接を行ない、12月頃に最終的な就学先が決定する。あくまでも「保護者の意向に沿った」就学先だ。
伺った小学校でも感じたことだが、養護学級の担任だけでなく学校全体で障害児の教育に関わっていることが当たり前になっている。「ほんとうにみんなが声をかけてくれるんです」とはお母さんの弁。特学のこどもの教育は特学の担任の仕事という考えでは、本当に必要な教育的な支援はできないし、教師自身も行き詰まってしまう。「授業でも、この子には難しいかなというところは、色々やり方を工夫してくれます」。生活習慣の獲得とともに、基礎的な学力の養成にも重点をおいた指導が行なわれており、こちらにきてから学力も格段に向上したという。ちなみにMちゃんの所属しているクラブはダンス部。
この学校の場合、学区内で養護学校に通っている子どもや保護者に対しても、運動会などの行事に招待しているほか、年2回養護学校の子どもや保護者も交えてのフレンズ交流会とう催しを開催して交流を深めている。この交流会には小学校の全教員も参加しており、小学校に在籍している、いないに関わらず地域にいる子どもをみんなが把握している。
これまで書いてきたことは、一番目の特殊学級の設置以外は全て「できる」「できない」のレベルの話ではなく「やる」か「やらない」かのレベル、お金をかけずともやる気になればできる話だ。
ノーマライゼーションの実現、『障害の有無にかかわらず、ともに人格や個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会』という理念の実現は、ひとえに教育の現場がどう対応するかにかかっている。それなくして障害者の自立は絵に描いた餅だ。
当日、参観させて頂いたのは通常学級での国語の授業。教室の前に出てみんなにお手本を見せ、拍手を浴びるMちゃんはクラスのヒーローだった。

イケア船橋店視察の目的は、船橋においては病院とヤクルト以外に聞いたことのない事業所内保育施設をあえて設置した経緯を伺うこと、それから、障害者雇用に対する考え方を知ること、であった。
イケア船橋店で働く障害者は現在9名。

オープン当初から法定雇用率を達成しているが、「来週からさらに4、5名の障害者のトライアル雇用がジョブコーチの指導のもと1、2ヶ月の期間でスタートする予定です」と人事担当の責任者は語る。障害者雇用についてイケアはどのような考え方で取り組んでいるのであろうか。

日本の場合、障害者が障害のない人と同様に、その能力と適性に応じた雇用の場に就くことができる社会を実現するため、常用労働者数が56人以上の民間企業は、1.8%(56人に対して1人)の障害者を雇用することが義務づけられている。

法定雇用率未達成の企業は、未達成分の障害者一人当たり月額5万円の納付金を納めなければならないとされているが(このペナルティーは当分の間、常用労働者301人以上の企業について適用)、法定雇用率はこれまで1度も達成されたことはなく、厚生労働省の統計では平成17年度の障害者雇用率も1.49%にとどまっている。

イケアの場合、『Diversity=多様性、違いを受け入れ、尊重すること』という企業理念を掲げており、障害者雇用の取り組みもここから出発している。「私もイケアに入る前、国内の企業で人事を担当していた経験がありますが、そのときは、(障害者雇用については)法律で義務づけられている数字の確保ということがまず最初にありましたが、実際に各部門への障害者の配置について、どのような作業があるのか研究し、実施した結果は、彼ら(障害者)から学ぶことがたくさんあるということを実感しています。

障害者の方が健常者よりもよほど良い仕事をしているということもありますし、何よりも人間らしさを忘れずに仕事ができる環境が育っていると思います」。

イケアの障害者雇用への取り組みは法定雇用率の達成のみに止まらない。

「あくまで日本でのイケアの事業が軌道に乗っての話ですが、2年目以降は法定雇用率の2倍を目指そう、その後は3倍を目指そう。それがDiversityなのだ。これが社長の意向です」
イケアは船橋店出店に際し、障害者雇用についても県の雇用促進課と密接に連携を取りながら、オープンの2ヶ月前からトライアル雇用を実施している。また、国内法で定められた雇用率達成のため、この分野では豊富なノウハウの蓄積を持つオリエンタルランドに通って学ぶなど、多大な努力を払っている。

国内企業の障害者雇用が法定率を下回り続けるなか、新進の海外企業が法定率の3倍を目指そうと謳っている現実。この国は理念とそれを実現するための施策がちぐはぐというか充分に吟味されていないといわざるを得ない。それはとりもなおさず私たち政治家の責任でもある。

では、どこがまずいのか?少し長くなるが、やはり外資系企業の人事担当者から伺った話を以下に引用させて頂く。

『障害者雇用促進法に定められた雇用率(1.8%)を達成するため、10年前から取り組んでいるが、入っては辞め、入っては辞めの連続でうまくいかなかった。国の機関から高名な先生を招いたりもしたが、全て駄目だった。昨年(2004年)にプロイジェクトチームを立ち上げ、検討した結論は『(従来のように)社員が(障害者雇用)を担当するのはやめよう』ということだった。社員はそれぞれ現業をもっており、障害者雇用、定着のために割ける時間は自ずと限られている。職場への定着を目指すならば、障害者雇用に精通している人をリクルートしようという結論になった。

ジョブコーチを社員として移籍させて欲しいと県の商工労働部に掛け合った。前代未聞のことで、説得にかなりの労力を要したが、2名のジョブコーチを正社員として迎え入れることができた。作業指導は社員が行ない、障害者が職場に適応するための様々なケアはジョブコーチが受け持つとの役割り分担のもと今年(2005年)2月から10名の障害者(身体障害者1名、知的障害者9名)の職場定着の試みがスタートした。半年経った現在も辞めた人は一人もいない。

定着のための工夫のひとつとして、職場で問題があった場合の解決法についても色々考え、些細なことでも保護者を交え十分に話し合うことにした。また、話し合いの場には必ず総務部長、人事部長が入ることにした。現場の次長、課長任せでは、「何でこんな作業ができないの」など、結局、障害者を非難する話になってしまう。

それでは定着に結びつかないということで、部長も入って話し合うことことにした。また、特定の人をひいきしているという批判を保護者から受けないよう大会議室で全員に参加してもらって話し合うようにした。現在、障害者雇用率は1.2%だが、年内には法定雇用率(1.8%)達成に自信をもっている。』『数字上、法定雇用率を達成している企業はたくさんある。

ただ実態をみると、障害者雇用を下請けに押し付けて数だけ上げている、いてもいなくてもよいという考えでやっている企業も少なからずある。私たちは障害者雇用に真剣に取り組んでいることを1%の方に支持していたでければよいと考えている』

イケアを含め、ここに引用した国際的な企業はその国で事業展開を図る際、当然のことながらその国における法令遵守ということを考える。障害者雇用についても日本では法律で雇用すべき人数が決まっているからまずは、その達成のためにどうすれば良いのか考える訳だが、そのための相談・支援体制の窓口が縦割りで面倒くさい、何でワンストップサービスでできないのかというのが不満のひとつ。また、私たちは国内法令を遵守しているのに、それが積極的に評価されないのはどういうことか、という思いがある。

例えば、アメリカの場合、日本のように法律で障害者雇用を義務づけることはしない。ただ、障害者雇用の状況は、企業の格付けのうえで大きなウエイトを占めている。最終的な評価は消費者と投資家に委ねるという考えなのだろう。

日本においても、自治体発注工事の入札参加資格に障害者雇用状況を追加し、法定雇用 率の達成企業に点数を加算するなどの事例がちらほら見られるようになりつつある。

こうした事例も参考に、障害者雇用について、真剣に取り組む企業に対する支援を行政として何ができるのか。私自身研究してゆきたいと思っている。

スウェーデン的なもの?〜イケアの企業内保育所〜

スウェーデン発祥の組み立て家具の製造販売会社『IKEA(イケア)』の日本初の店舗(厳密には過去にもイケアの製品は国内で販売していたが全く自前の店舗展開は初めて)が今年(06年)4月、船橋市にオープンした。

イケアの日本進出第1号となる船橋店では、社員のための保育所を当初から計画に組み込んで運営している。「これがスウェーデンの企業文化なのか」と思い視察に伺い、様々お話を訊いた。

1943年創業のイケアは、世界34カ国に235の店舗を展開する国際的な企業に成長を遂げ、日本においても船橋店を皮切りに、今秋には横浜、来年には関西方面ヘの出店計画が既に具体化しているほか、長期的には国内に20程度の店舗展開を目指している(以上はイケア・ジャパンの説明)。

船橋店の5階に開設されている保育所『イケア・ダーリス(ダーリスはスウェーデン語で保育所の意とのこと)』の所長はスウェーデン人のクリスティーナさん(冒頭の写真中央の女性)。日本暮らしは14年ということで、流暢な日本語で施設を案内しながら丁寧かつ穏やかに応対して頂いた。

保育所では生後57日から6歳児までを預かっている。船橋店の社員は約600人いるが、このうち保育所利用の登録をしている人は約100人。定員は75名だが、勤務時間はシフト制を敷いているためオープン以来2ヶ月余りの実績では45名が最大に預かった人数とのこと。所長はイケアの社員だが、保育士はイケアが委託契約を結ぶ国内企業からの派遣だ。

さて、ここから本題に入るが、イケアがなぜ保育施設をつくったのか?私にとっては意外な答えだったのだが、イケアが社員のための保育施設を店舗内に設けたのは世界でも船橋店が初めて、本家のスウェーデンにおいてもイケアは保育施設は設けていないとのこと。イケア船橋店の企業内保育所は決してスウェーデン的なものではなかった。ちなみに本家のスウェーデンでは子どもは市立の保育所に預かってもらえるから企業が特に保育所を設置する必要はないとのことだった。(スウェーデンでは夫婦がフルタイムで働くことが当たり前のため、現在は幼稚園は姿を消し、保育所しかない)。

では、なぜイケアは日本進出1号店に保育所を設けたのか?「日本の女性は結婚して子どもを出産すると会社を辞めてしまう(あるいは辞めざるを得ない)。企業としては多くの時間とお金をかけて育てた人材(正確にはトーレーニングとそれに伴って蓄積されたノウリッジの喪失と表現していました)を失うのはもったいないことです」(所長)。企業に限らず、どのような組織であれ、その盛衰を左右するのは結局は人だ。イケアが日本での事業展開を目指した際に、人材確保のひとつのツボが女性が働き続けることのできる環境の充実、そのための保育所設置だったのだろう。保育所利用の社員に対するアンケート調査では7割近くが「保育施設がなければイケアでは働かなかった」と回答している。

「日本のお父さんとスウェーデンのお父さんでは子育てへの関わり方に違いがありますか」との問いに対しては、所長から即座に「違います!」との答えが返ってきた。

「スウェーデンでは夫婦とも職場ではチームを組んでシフト制で仕事をしていますから、子育てのために時間を調整して保育所の送り迎えや食事の準備に至るまで夫婦が協力しなければ子育てはできません」

「この保育所でも男性の保育士を配置していますが、これも子どもがずっと女性ばかりと接しているのは良くないとの考えによるものです。子育てには男性、女性両方の関わりが大切なのです」

「ただ、日本のお父さんも変りつつあると感じてます。この保育所開設当初(お父さんが休みの)日曜日も保育の希望が多いだろうと考えていましたが、実際には思ったほど多くはなかった。お母さんが働いている間、お父さんが家で子どもの面倒をみているということです」

「お父さんが子どもの面倒をみるといっても、隣の部屋にお母さんがいるのと、そうでないのとでは全く違います。お父さん一人で子どもの面倒を見ることで父親として成長できるんです」

私自身、まだまだ成長の余地はあると感じた。