つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党
つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党

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「基本的に障害をもつ子どもの就学先について、教育委員会と保護者の考え方が対立するということはありません」
メモを取る手を止め、しばし頭の中で何とか考え方を整理しようと試みた。「私の質問の仕方が悪かったのか?」「船橋では3分の1の保護者が就学指導委員会の答申を受け入れていない」「かつて教育委員会の幹部と意見交換した際、『船橋のやり方が本人のためを考えた際、最もいいんです。』と語っていた」「しかし、船橋の対応が必ずしも最善とは思えない」「本人のためにどちらが本当によいのか?それは理屈ではない。本人の生き生きとした表情がこの問題に対する回答を雄弁に物語っている」「教職員やそれをサポートする人材の配置が特に手厚い訳ではない。もちろん教員の資質がどうのとう問題でもない。一体何が違うというのか?」
あれやこれやと考えを巡らせている場所は、大阪府枚方市の公立小学校の校長室(注=冒頭の写真は本文とはほとんど関係ありません。枚方市では全小中学校にAEDを配備しているというお話を伺い撮影した一コマです)。
伺った小学校は早くから養護学級が設置されている学校だが、実はこの学校の養護学級に在籍する児童の一人は、千葉県内の小学校に在籍していたMちゃん。親の仕事の関係で枚方市に引っ越しっていったのだが、引っ越し先の教育環境が極めて良いとの便りを聞いて、自分の目で確かめたいと思い、教育現場を訪問させていただいた。校長先生は「なぜうちのようなごく当たり前の学校に?」と、いささか当惑されたご様子だったが、少なくとも私にとっては大違いなのだ。

何が違うのかを伺った話をもとに整理してみると・・・

□全ての小中学校に特殊学級(大阪では養護学級)が設置されているか
□こどもの就学指導に際しては、保護者の意向を最大限に尊重しているか
□「ともに学びともに育つ」という考えに立ったカリキュラムが作成されているか
□全ての教職員が在籍する障害児の名前を知っているか
□学区内で養護学校に通うこどもやその保護者を行事に招待したり、定期的に交流する機会を設けているか
□勉強もちゃんと教えているか
□部活にも参加できるか

要するに上のようなチェックリストの全ての項目にチェックが入るのが枚方市ということになる。枚方に限らず、大阪府の場合どこも大体同じ結果になる(大阪府全域の養護学級設置率は平成18年5月現在小学校97.6%、中学校97.8%にのぼる)。
人口約40万人の枚方市には公立の小学校が45校、中学校は19校あるが、このうち特殊学級(大阪では養護学級という)の設置率は平成17年度で小学校97.8%、中学94.7%。今年度(18年度)は残る小学校、中学校各1校に特殊学級が設置され、障害の有無にかかわらず地元の学校で受け入れる体制が整った。
こどもの就学指導については、いま現在、幼稚園、保育園に教育委員会の担当者が訪問してこどもの実態の把握をおこなっているところで、次の段階として9月以降、保護者との面接を行ない、意向を聞きながらどのような就学先がよいかの話し合いを行なう。その後も保護者からの要請があれば随時面接を行ない、12月頃に最終的な就学先が決定する。あくまでも「保護者の意向に沿った」就学先だ。
伺った小学校でも感じたことだが、養護学級の担任だけでなく学校全体で障害児の教育に関わっていることが当たり前になっている。「ほんとうにみんなが声をかけてくれるんです」とはお母さんの弁。特学のこどもの教育は特学の担任の仕事という考えでは、本当に必要な教育的な支援はできないし、教師自身も行き詰まってしまう。「授業でも、この子には難しいかなというところは、色々やり方を工夫してくれます」。生活習慣の獲得とともに、基礎的な学力の養成にも重点をおいた指導が行なわれており、こちらにきてから学力も格段に向上したという。ちなみにMちゃんの所属しているクラブはダンス部。
この学校の場合、学区内で養護学校に通っている子どもや保護者に対しても、運動会などの行事に招待しているほか、年2回養護学校の子どもや保護者も交えてのフレンズ交流会とう催しを開催して交流を深めている。この交流会には小学校の全教員も参加しており、小学校に在籍している、いないに関わらず地域にいる子どもをみんなが把握している。
これまで書いてきたことは、一番目の特殊学級の設置以外は全て「できる」「できない」のレベルの話ではなく「やる」か「やらない」かのレベル、お金をかけずともやる気になればできる話だ。
ノーマライゼーションの実現、『障害の有無にかかわらず、ともに人格や個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会』という理念の実現は、ひとえに教育の現場がどう対応するかにかかっている。それなくして障害者の自立は絵に描いた餅だ。
当日、参観させて頂いたのは通常学級での国語の授業。教室の前に出てみんなにお手本を見せ、拍手を浴びるMちゃんはクラスのヒーローだった。

イケア船橋店視察の目的は、船橋においては病院とヤクルト以外に聞いたことのない事業所内保育施設をあえて設置した経緯を伺うこと、それから、障害者雇用に対する考え方を知ること、であった。
イケア船橋店で働く障害者は現在9名。

オープン当初から法定雇用率を達成しているが、「来週からさらに4、5名の障害者のトライアル雇用がジョブコーチの指導のもと1、2ヶ月の期間でスタートする予定です」と人事担当の責任者は語る。障害者雇用についてイケアはどのような考え方で取り組んでいるのであろうか。

日本の場合、障害者が障害のない人と同様に、その能力と適性に応じた雇用の場に就くことができる社会を実現するため、常用労働者数が56人以上の民間企業は、1.8%(56人に対して1人)の障害者を雇用することが義務づけられている。

法定雇用率未達成の企業は、未達成分の障害者一人当たり月額5万円の納付金を納めなければならないとされているが(このペナルティーは当分の間、常用労働者301人以上の企業について適用)、法定雇用率はこれまで1度も達成されたことはなく、厚生労働省の統計では平成17年度の障害者雇用率も1.49%にとどまっている。

イケアの場合、『Diversity=多様性、違いを受け入れ、尊重すること』という企業理念を掲げており、障害者雇用の取り組みもここから出発している。「私もイケアに入る前、国内の企業で人事を担当していた経験がありますが、そのときは、(障害者雇用については)法律で義務づけられている数字の確保ということがまず最初にありましたが、実際に各部門への障害者の配置について、どのような作業があるのか研究し、実施した結果は、彼ら(障害者)から学ぶことがたくさんあるということを実感しています。

障害者の方が健常者よりもよほど良い仕事をしているということもありますし、何よりも人間らしさを忘れずに仕事ができる環境が育っていると思います」。

イケアの障害者雇用への取り組みは法定雇用率の達成のみに止まらない。

「あくまで日本でのイケアの事業が軌道に乗っての話ですが、2年目以降は法定雇用率の2倍を目指そう、その後は3倍を目指そう。それがDiversityなのだ。これが社長の意向です」
イケアは船橋店出店に際し、障害者雇用についても県の雇用促進課と密接に連携を取りながら、オープンの2ヶ月前からトライアル雇用を実施している。また、国内法で定められた雇用率達成のため、この分野では豊富なノウハウの蓄積を持つオリエンタルランドに通って学ぶなど、多大な努力を払っている。

国内企業の障害者雇用が法定率を下回り続けるなか、新進の海外企業が法定率の3倍を目指そうと謳っている現実。この国は理念とそれを実現するための施策がちぐはぐというか充分に吟味されていないといわざるを得ない。それはとりもなおさず私たち政治家の責任でもある。

では、どこがまずいのか?少し長くなるが、やはり外資系企業の人事担当者から伺った話を以下に引用させて頂く。

『障害者雇用促進法に定められた雇用率(1.8%)を達成するため、10年前から取り組んでいるが、入っては辞め、入っては辞めの連続でうまくいかなかった。国の機関から高名な先生を招いたりもしたが、全て駄目だった。昨年(2004年)にプロイジェクトチームを立ち上げ、検討した結論は『(従来のように)社員が(障害者雇用)を担当するのはやめよう』ということだった。社員はそれぞれ現業をもっており、障害者雇用、定着のために割ける時間は自ずと限られている。職場への定着を目指すならば、障害者雇用に精通している人をリクルートしようという結論になった。

ジョブコーチを社員として移籍させて欲しいと県の商工労働部に掛け合った。前代未聞のことで、説得にかなりの労力を要したが、2名のジョブコーチを正社員として迎え入れることができた。作業指導は社員が行ない、障害者が職場に適応するための様々なケアはジョブコーチが受け持つとの役割り分担のもと今年(2005年)2月から10名の障害者(身体障害者1名、知的障害者9名)の職場定着の試みがスタートした。半年経った現在も辞めた人は一人もいない。

定着のための工夫のひとつとして、職場で問題があった場合の解決法についても色々考え、些細なことでも保護者を交え十分に話し合うことにした。また、話し合いの場には必ず総務部長、人事部長が入ることにした。現場の次長、課長任せでは、「何でこんな作業ができないの」など、結局、障害者を非難する話になってしまう。

それでは定着に結びつかないということで、部長も入って話し合うことことにした。また、特定の人をひいきしているという批判を保護者から受けないよう大会議室で全員に参加してもらって話し合うようにした。現在、障害者雇用率は1.2%だが、年内には法定雇用率(1.8%)達成に自信をもっている。』『数字上、法定雇用率を達成している企業はたくさんある。

ただ実態をみると、障害者雇用を下請けに押し付けて数だけ上げている、いてもいなくてもよいという考えでやっている企業も少なからずある。私たちは障害者雇用に真剣に取り組んでいることを1%の方に支持していたでければよいと考えている』

イケアを含め、ここに引用した国際的な企業はその国で事業展開を図る際、当然のことながらその国における法令遵守ということを考える。障害者雇用についても日本では法律で雇用すべき人数が決まっているからまずは、その達成のためにどうすれば良いのか考える訳だが、そのための相談・支援体制の窓口が縦割りで面倒くさい、何でワンストップサービスでできないのかというのが不満のひとつ。また、私たちは国内法令を遵守しているのに、それが積極的に評価されないのはどういうことか、という思いがある。

例えば、アメリカの場合、日本のように法律で障害者雇用を義務づけることはしない。ただ、障害者雇用の状況は、企業の格付けのうえで大きなウエイトを占めている。最終的な評価は消費者と投資家に委ねるという考えなのだろう。

日本においても、自治体発注工事の入札参加資格に障害者雇用状況を追加し、法定雇用 率の達成企業に点数を加算するなどの事例がちらほら見られるようになりつつある。

こうした事例も参考に、障害者雇用について、真剣に取り組む企業に対する支援を行政として何ができるのか。私自身研究してゆきたいと思っている。

スウェーデン的なもの?〜イケアの企業内保育所〜

スウェーデン発祥の組み立て家具の製造販売会社『IKEA(イケア)』の日本初の店舗(厳密には過去にもイケアの製品は国内で販売していたが全く自前の店舗展開は初めて)が今年(06年)4月、船橋市にオープンした。

イケアの日本進出第1号となる船橋店では、社員のための保育所を当初から計画に組み込んで運営している。「これがスウェーデンの企業文化なのか」と思い視察に伺い、様々お話を訊いた。

1943年創業のイケアは、世界34カ国に235の店舗を展開する国際的な企業に成長を遂げ、日本においても船橋店を皮切りに、今秋には横浜、来年には関西方面ヘの出店計画が既に具体化しているほか、長期的には国内に20程度の店舗展開を目指している(以上はイケア・ジャパンの説明)。

船橋店の5階に開設されている保育所『イケア・ダーリス(ダーリスはスウェーデン語で保育所の意とのこと)』の所長はスウェーデン人のクリスティーナさん(冒頭の写真中央の女性)。日本暮らしは14年ということで、流暢な日本語で施設を案内しながら丁寧かつ穏やかに応対して頂いた。

保育所では生後57日から6歳児までを預かっている。船橋店の社員は約600人いるが、このうち保育所利用の登録をしている人は約100人。定員は75名だが、勤務時間はシフト制を敷いているためオープン以来2ヶ月余りの実績では45名が最大に預かった人数とのこと。所長はイケアの社員だが、保育士はイケアが委託契約を結ぶ国内企業からの派遣だ。

さて、ここから本題に入るが、イケアがなぜ保育施設をつくったのか?私にとっては意外な答えだったのだが、イケアが社員のための保育施設を店舗内に設けたのは世界でも船橋店が初めて、本家のスウェーデンにおいてもイケアは保育施設は設けていないとのこと。イケア船橋店の企業内保育所は決してスウェーデン的なものではなかった。ちなみに本家のスウェーデンでは子どもは市立の保育所に預かってもらえるから企業が特に保育所を設置する必要はないとのことだった。(スウェーデンでは夫婦がフルタイムで働くことが当たり前のため、現在は幼稚園は姿を消し、保育所しかない)。

では、なぜイケアは日本進出1号店に保育所を設けたのか?「日本の女性は結婚して子どもを出産すると会社を辞めてしまう(あるいは辞めざるを得ない)。企業としては多くの時間とお金をかけて育てた人材(正確にはトーレーニングとそれに伴って蓄積されたノウリッジの喪失と表現していました)を失うのはもったいないことです」(所長)。企業に限らず、どのような組織であれ、その盛衰を左右するのは結局は人だ。イケアが日本での事業展開を目指した際に、人材確保のひとつのツボが女性が働き続けることのできる環境の充実、そのための保育所設置だったのだろう。保育所利用の社員に対するアンケート調査では7割近くが「保育施設がなければイケアでは働かなかった」と回答している。

「日本のお父さんとスウェーデンのお父さんでは子育てへの関わり方に違いがありますか」との問いに対しては、所長から即座に「違います!」との答えが返ってきた。

「スウェーデンでは夫婦とも職場ではチームを組んでシフト制で仕事をしていますから、子育てのために時間を調整して保育所の送り迎えや食事の準備に至るまで夫婦が協力しなければ子育てはできません」

「この保育所でも男性の保育士を配置していますが、これも子どもがずっと女性ばかりと接しているのは良くないとの考えによるものです。子育てには男性、女性両方の関わりが大切なのです」

「ただ、日本のお父さんも変りつつあると感じてます。この保育所開設当初(お父さんが休みの)日曜日も保育の希望が多いだろうと考えていましたが、実際には思ったほど多くはなかった。お母さんが働いている間、お父さんが家で子どもの面倒をみているということです」

「お父さんが子どもの面倒をみるといっても、隣の部屋にお母さんがいるのと、そうでないのとでは全く違います。お父さん一人で子どもの面倒を見ることで父親として成長できるんです」

私自身、まだまだ成長の余地はあると感じた。

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「春の到来は『混沌』から『宇宙』が創成されたように、また『黄金時代』が実現されたように思われる」(ソーロー)

「混沌の世界から統一の世界に入り、夢幻の境地から現実の明確に覚めるところに、官能の形象があらわになって来る。冬の沈黙から表現へと移った自然の姿態は、五月の新緑というものにおいて最も豊かな、至醇な自己表現となってあらわれる。それが如何なるものを告白しているか、また如何なるものの象徴であるかは、ただ詩人や予言者の解釈に任せて、自然はその進行の刻々に表現されるべきものについてのみ忙しい」(田部重治)

自然の調和をかき乱すだけの力を持った唯一の存在。それが人間なのだろう。

久しぶり(正確に数えたら23年ぶり)に足尾を訪れる機会を得た。前回利用した足尾線は3セクの「わたらせ渓谷鉄道」になり、足尾町そのものも日光市との合併で消滅していた。23年の歳月は色々なものを変えた。ただ、久蔵、仁田元の支川が松木川に出会うあたりに立ったときに目に飛び込んでくる四方に広がる禿げ山の光景だけは相変わらずで、むしろ懐かしさを覚えた。

銅の製錬過程で発生する亜硫酸ガスによる煙害が製錬所上流地域の旧松木村などで問題になり始めたのが明治16年(1883年)頃。その後、重要な現金収入源であった養蚕業が廃業に追い込まれるなどして、旧松木村を含め上流域の村は全て廃墟と化した。

営林署の資料によると、煙害により荒廃した山腹の面積は1,313ヘクタール、東京の山手線で囲まれる区域の面積のおよそ2倍。荒廃した山腹は不安定な土砂を大量に生み出し、洪水時には下流域の広い範囲に甚大な被害をもたらす。このため、砂防と植林を中心とする治山事業は明治の時代から今に至るまで100年以上にわたり(税金を投入して)続けられてきた。

いまも最新の土木技術を駆使して緑を復元するための取り組みが行なわれているが、その現場を目の当たりにするにつけ、一度失われた自然を回復することの難しさというか、一度壊した自然をもとに戻すことは人間にはできない、ということを強く認識させられる。

現地に設置された複数の案内板には、山の荒廃は製錬所の煙害とともに山火事も原因だと書いている。野火説は足尾銅山側が山腹荒廃の大きな原因として強く主張したものだ。確かにこの地域では以前から山焼きが行なわれており、明治20年の山焼きの際には強風により広い範囲が「焼失」したとの記録がある。

しかし、単に山火事の被害だけで100年以上も回復できないダメージを自然が負うものかどうか。足尾は日本の公害の原点といわれるが、真の原因は何なのか、責任を負うべきものは誰なのか、色々な意味で未だケリのついていないことが多いのではないかと思った。ケリをつけられないということは、人間は再び同じ同じ過ちを起こす可能性があるということだ。

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「診療行為などの公定価格で医療機関の収入となる診療報酬が、4月から改定される。(中略)公明党が強く要望していた児童の治療用眼鏡と、コンタクトレンズにも保険が適用され、療養費が支給されるようになる。」(3月20日付公明新聞)

眼鏡やコンタクトレンズを用いて矯正しても、十分な視力が得られない弱視の原因は、大きく2つに分けられ、1つは先天性の白内障などの重い目の病気によるもの、そしてもう1つは視力の発達する生後2カ月から3カ月ぐらいから3歳ごろまでの幼児期に、強度の屈折異常があり、正常な目のみが働くようになり、視力が上がらなかったもので、後者の原因の場合、屈折異常が原因の場合には、早い時期に適切な治療を施せば、視力の改善を望むことができる。

弱視の治療法としては、片方の目のみが特に視力が悪い場合には、健全な方の目をアイパッチと呼ばれる大きなばんそうこうのようなもので遮へいしたり、よい方の目にわざと見えにくくするための目薬を点眼し、悪い方の目の視力の発達を促すという方法、さらには注射であるとか、手術による治療法が用いられているが、何と言っても眼鏡による屈折矯正が基本となる。視力の発達は個人差が大きいが、一般的には8歳から10歳程度でとまると考えられており、治療開始の時期は早ければ早いほど効果が期待できると言われている。

低年齢の段階で、眼鏡で矯正して網膜にピントをきちんと合わせ、鮮明な像を脳に送り、視機能の発達を促すことで矯正視力が1.0程度まで改善した事例は数多く報告されている。

このように、斜視を含めた弱視は、視力の発達がとまる前のできるだけ早期の段階で、眼鏡による矯正を基本に治療を行えば、改善が期待できるにもかかわらず、治療段階における弱視・斜視矯正眼鏡に対しては医療保険の適用がないため、全額自己負担で行わなければならないことから、弱視の子供を持つ保護者は大きな経済的な負担を強いらる現実があった。

この問題については私自身、数年前に弱視の子どもさんをもつ方から経済的負担の軽減を図って欲しいとの要望を受けて、調べてみたが、40年以上前に厚生省(当時)が出した通達がネックになっており、保険適用は難しいものと思い込んでいた。それがこの1年余りの間に事態が大きく動き、ついに治療用眼鏡、コンタクトレンズに医療保険が適用される日が訪れた。

しかし、治療用眼鏡への保険適用という、考えてみれば当たり前のことが行なわれずに流れた40年の歳月はあまりにも長過ぎた。この間、この問題に取り組み続けた関係者のご苦労・ご努力にはただただ頭が下がる想いを抱くと同時に、こうした制度の谷間に置かれた人々の声を地方から国へと届け、一日も早い改善に汗を流すことが私たちの仕事なのだということを私自身、強い反省の念とともに改めて痛感させられた事件だった。

そもそも、これまでなぜ治療に用いる弱視や斜視の矯正眼鏡に保険が適用されなっかたのか。眼鏡に対する療養費の支給に関し、昭和39年11月26日付で当時の厚生省が出した通達が生き続けていたからだ。

この通達では、眼鏡の取り扱いについて、疾病または負傷の治療のために必要な用具、補装具は支給されることになっているが、眼鏡はこのような用具とは性質を異にしているので、支給の対象から外されている。

医療保険における眼鏡の支給は認められないが、身体障害者福祉法第20条の規定に基づく補装具としての眼鏡支給が考えられるという内容。つまり眼鏡は治療のために必要な用具ではないと厚生省が明確に示している。その指導を保険者が忠実に守り、支給を拒み続けていたことが最大の理由となっていた。

国が保険者に対してこのような指導をする背景には、もともと日本人は世界的に見ても、近視などで眼鏡を使用する人の割合が多く、こうした近視や乱視の矯正眼鏡と区別がつきにくいという考えがあったようだ。ちなみに、国の通達の中で、身体障害者福祉法の規定に基づく補装具としての眼鏡支給が認められるのは、両眼の矯正視力が0.1以下のもの、一眼の視力が0.02以下のものなど、症状が固定したものに限られ、適切な治療を施せば改善が期待できる子供たちの治療のことは全く考慮がされていない。

しかしながら、昨年(05年)に入って弱視・斜視の子どものために矯正用眼鏡やアイパッチに対する保険適用を求める運動を地道に続けてきた「アイパッチクラブ」の陳情を受け、浜四津代表代行が国会で取り上げて以降、事態は大きく動くようになる。

以下は公明新聞に掲載された記事。

『05年4月)28日の参院厚生労働委員会で質問に立った公明党の浜四津敏子代表代行は、矯正しても正常な視力が出ない弱視や、斜視などに対して、治療上必要な特殊な眼鏡や、視力発達に必要な装具であるアイパッチなどを保険給付の対象とするよう求めた。西博義厚労副大臣(公明党)は「中医協のもとにある専門組織で具体的に議論する」と述べた。』

その後の経緯は、

・(05年)6月17日付けで日本眼科社会保険会議、日本視能訓練士協会から弱視用眼鏡の療養給付に関する医療技術評価希望書が提出される。

・(05年)12月16日付けで中医協診療報酬調査専門組織医療技術評価分科会が一次評価の結果、「小児の弱視、斜視治療のための眼鏡およびコンタクトレンズ」を引き続き検討する技術とする中間報告。

・(06年)2月3日付けで中医協診療報酬調査専門組織医療技術評価分科会が、「小児の弱視、斜視治療のための眼鏡およびコンタクトレンズ」を保険適用する優先度が高いと考えられる新規技術とする報告。

この報告を踏まえ、「小児の弱視、斜視治療のための眼鏡およびコンタクトレンズ」が保険適用と決まった。

この間、一部の保険者においては治療用の眼鏡に対して保険適用を認めているところも増えていることから、加入する保険によって著しい不公平が生じている現状があった。保険者が眼鏡の保険適用を認めていれば、現状では、3歳未満は2割の自己負担、3歳以上は3割の自己負担分を支払えば済む。これに加えて都道府県・市町村が独自に行なっている乳幼児医療費助成の恩恵を受けることもできる。

船橋においては4歳未満であれば窓口負担200円で眼鏡をつくることが可能だ。事実、船橋においても矯正用眼鏡も保険適用としている保険者から、乳幼児医療費の助成申請が上がっていた。

国が保険適用を認めたことにより、こうした不公平もようやく解消される。それはそれでよいことなのだが、制度の谷間はまだまだある。私自身、こうした谷間を埋めることに最優先で取り組んでゆきたいと決意を新たにしている。

(参考=この問題を議会で取り上げた議事録)昨年(05年)9月議会

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市議会における来年度予算の審議も大詰めを迎えている。市民を代表する議員として様々な声を聞き、その声をもとに議会の内外にわたって必要性の高い施策の実現を要望するが、ほとんどの場合、行政側は「必要性は分かるが、財政状況が厳しいために実現は難しい」という回答をする。

「厳しい財政」を盾に議員側の要求の実現には否定的な反応をすることがほとんどだ。

私が議員として仕事をさせていただくようになって以来このかた、行政側から「財政が厳しい」という言葉は耳にタコができるくらい聞いたが、「財政状況が好転した」という言葉はついぞ聞いたことがない。

一体、船橋の財政は他の都市と比較してどのような状況におかれているのか?三位一体改革の渦中で、この先どうなるか不透明なところも大きいが、とりあえず平成16年度決算ベースにおける船橋の財政状況の他都市との比較を試みたのが冒頭のグラフ。

自治体の財政状況を示す尺度としては色々なものがあるが、そのうち代表的な指標とされている経常収支比率を船橋と同規模の中核市(人口50万人以上)について比較したものだ。

「経常収支比率」は、市税などの経常的な一般財源が、人件費などの経常的な経費にどの程度充てられているかを表すもので。70〜80%が標準的とされ、この比率が高くなるほど投資的事業や新たな施策を実施する余力がなくなる。すなわちこの比率が低いほど市民ニーズに応える余力があるということ。

家計に例えれば、収入に対して住宅ローンやら光熱費やら食費、教育費など黙っていても必ず出てゆく支出がどの程度の割合を占めているかを示す指標で、この数値が高いほど新たにカルチャースクールに通ったり、旅行に出かけたりといったことを企画する余裕がないということになる。

船橋市の場合、経常収支比率をみるかぎり同規模の自治体の中ではそうした余裕は少ない方といえる。ちなみに、今回比較した都市も含めた中核市全体(35市)の平均86.3%をも上回っている。余裕がない中で何か新しいことをやったり、買い物をしようとすれば、「貯金を取り崩す」か「借金をする」しかないが、では船橋の「貯金」や「借金」の状況はどうなのか?

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上のグラフは市民一人当たりどれだけの貯金(積立金)があるのか、下のグラフは市民一人当たりどれだけ借金(地方債)があるのかを同規模の中核市で比較したもの。

自治体は不況によって税収が落ち込んだり、災害の発生で急な支出が生じた場合に備えて、法律に基づいて財政状況の良い年度に財政調整基金などに積立て(貯金)を行なっており、貯金が多ければ不況で収入が多少落ち込んでも安定的な財政運営ができるということになる。船橋の場合、貯金は少ない。景気の回復が遅れているため、現時点での貯金はさらに減っている。

一方の借金の方は、一人当たりの地方債残高で見た場合、船橋は少ない。ただしこれは一般会計の借金だけをみた場合のことであり、実はこのほかにも返さなければいけない借金はたくさんある。例えば、船橋が特に立ち後れている下水道事業特別会計の借金(起債残高)は1200億円を超え、一般会計の借金をも上回っている。

下水道の借金(厳密には汚水分の借金)は本来、下水道使用料で返済するべきものだが、そうしようとすると使用料が著しく高額になるため、一部は税金を使って返済に充てている。こうしたことは船橋に限ったことではないが、同規模程度の他の都市では下水道建設はほぼ終わっており、あとは借金を返すだけという状況にあるのに対して、船橋はようやく普及率が半分を超えたばかりで、これから建設のための借金はさらに嵩む。このほか、病院や市場など他会計からの借金もある。

それぞれの都市によって事情は異なるため、単純な比較はできないが、こうしてみると船橋の財政は決して余裕があるとはいえない。三位一体の改革が船橋の財政にどれだけの影響を及ぼすかを見極めると同時に、市民サービスを低下させずに、いかに効率的な事業運営をしてゆくかが、これからの船橋にとってはとりわけ重要な視点になる。

17日(金)に小学校の卒業式に出席させていただきました。今回は自分の子どもの卒業ということもあって、一人の親として様々な思いが交錯する卒業式でした。元気に生まれてきてくれたときの喜び、とにかくお転婆で、ハラハラドキドキさせられた幼い頃、一緒に遊んだ想いで、たびたびの入院騒動、かまってあげられず寂しい思いをさせたこと、お母さんに叱られて泣きじゃくる君を抱き上げた夜。祝辞を書きながら、さまざま想いを巡らせるなかで、常に頭に浮かんだ言葉は「ありがとう」の一言でした。

君が生まれてきたことによって一番学ばせてもらったのは、実は親である私の方でした。そんな気持を込めて今回は以下のような言葉を贈らせてもらいました。

祝 辞

六年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。今日、たくさんの友だちと、たくさんの思い出を作ってきた芝山東小学校を巣立ってゆく皆さんに、保護者を代表して少しだけお祝いの言葉を述べさせていただきたいと思います。

今年の冬はとても寒い冬でしたが、気がつけばいつのまにか学校の桜の木も蕾を大きく膨らませています。冬の間、何もせずに眠っているようにみえた桜の木も実は春になったらきれいな花を咲かせるために一生懸命準備をしています。皆さんもこれから人生の春を迎えようとしています。

これからが大きく伸びて、大きな花を咲かせる季節です。皆さんがこれから大きく伸びていこうとするなかでは楽しいことばかりではなく、苦しいな、やだな、逃げ出したいなと思うこともあるかもしれません。でも決して負けないで下さい。

厳しい冬に北風や雪にへこたれなかった木だけが春になって美しい花を咲かせます。自分らしい花を咲かせるため、大変なことがあっても、へこたれず、逃げずに前へ進んでいってください。

さて、今日は皆さんの卒業式であると同時に、お父さんやお母さんにとってもひとつの大きな区切りの日でもあります。

皆さんが生まれてから十二年間、お父さんやお母さんにも本当にいろんなことがありました。わたしもそうです。一緒に遊んだり、笑ったり、ときには泣いたりするなかでお父さんも色々なことを学びました。

病気で入院したときは、できることなら代わってあげたいと辛い思いもしました。忙しくてかまってあげられずに、悲しい思いをさせてしまったこともありました。

叱ったこともありました。もっとも、叱るのはほとんどお母さんの仕事でしたが、叱った後で、憎くて叱ってるんじゃない、自分のことだけじゃなくて人のことを思いやれる人になって欲しいからなんだということを分かってくれるかな、と悩みもしました。

本当にいろいろなことがあって、その度に悩みながら、いろいろなことを学んで今日の卒業式を迎えることができました。

以前、ある人が小学生に「親からかけて欲しい言葉は、どんな言葉ですか」と尋ねたところ、最も多かった答えが「よく頑張ったね」「頭いいね、さすがだね」それから「ありがとう」という言葉だったそうです。どうでしょうか、皆さんもお父さんお母さんにかけて欲しい言葉はと訊かれたら、同じような答えになるのではないでしょうか。

いつも心の中では思っているものの、面と向かって言うのはちょっぴり恥ずかしいので、この場を借りて、皆さんのお父さんお母さんを代表してこの言葉を贈りたいと思います。

「ありがとう。生まれてきてくれて、本当にありがとう。そして、これからもよろしく」

本日はご多忙中のところ、地域の代表のみなさまをはじめ、大勢の来賓のみなさまにご出席いただきました。父母と教師の会を代表致しまして心より御礼申し上げます。

また、最後になりますが、校長先生をはじめ、教職員のみなさまにも厚く御礼申し上げます。

卒業生のみなさん。たくさんの人が皆さんの成長を応援し続けていることをどうか忘れないでください。そして、これからもどんなに苦しいことがあっても負けずに、逃げずに堂々と歩んでいってください。本日はおめでとうございました。