つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党
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「高校に上がっても共に学びたい」
障害のあるなしに係らず子どもが成長するなかで地域・社会で暮らす、生きる力を身につけるために教育はどのような支援ができるのか、あるいはすべきなのか。国内でもこうした問題意識に立った試みが様々行なわれているが、いまだ「こうすべきだ」という支援策は確立されていない。その結果「同じ日本なのになぜこんなに違うの?」というくらい障害児の教育環境は地域によって大きく異なる現状がある。この点に関して大阪府は高校においても共に学ぶ環境づくりに積極的に取り組んでいる。平成18年度から知的障害児が通うようになった東大阪市の府立枚岡樟風高校を訪ねた。

平成18年度より共生推進モデル校として「たまがわ高等支援学校ものづくり科」の共生推進教室が枚岡樟風高等学校に設置されました。知的障害の生徒が入学し、社会的自立を目指して枚岡樟風高等学校の生徒と共に生 活し共に学んでいます。
◆教育の基本方針
地域社会で自立して生きる力の育成を図り、働く為の知識や技術を育み、社会人としての生活習慣や働く意欲を培う。
◆入学資格
1) 療育手帳を所持しているもの、または児童相談所等の公的機関で知的障害と判定を受けた者。
2) 在籍する中学校等の校長の推薦を受けた者。
3) 自主的な通学が可能で、就労を通じた社会的自立を目指しているもの。
以上は、同校のホームページからの引用。
大阪府の場合、障害児が一般の高校で共に学べるようにする手法として高校側に自立支援コーズなど独自の課程を設けるやりかたと、新しい試みとして養護学校(特別支援学校)の分室を高校に設けるやり方の二通りがある。2つの手法の違いは高校側に自立支援コースを設けた場合、加配する教員の人件費等は府の持ち出しとなってしまうこと、一方、養護学校の分室とした場合は養護学校のいわば手厚い基準で教員が配置されることから、府の持ち出しは少なくて済むこと。ただしこの場合は卒業証書は養護学校の卒業証書となること。こうした違いはあるものの、実際の教育内容に大きな違いはない。
枚岡樟風高校は後者のケース、即ち府立たまがわ高等支援学校の分室(共生推進教室)の位置づけだ.
平成11年に府がまとめた教育改革プログラムで高校に分室を置き、交流を促進する方針を打ち出していたが、この方針を具体的なカタチにした新しい取組みだ。
共生推進教室の定員は各学年2名。訪れた時点(昨年10月)で、1、2年生合わせて4名が在籍していた。
同校のコーディネーター・栗山教諭は3年前まで府内の工業高校で教鞭を執っていたが、障害児j教育はまったく未経験。障害児教育のコーディネーターを務めるうえで、試行錯誤もあったという。保護者と様々話し合うなかで「涙もろくなった」と笑う栗山教諭。障害児は一般的に環境の変化に弱い、朝の1、2時間は大切に扱わなければいけないなど、接する上で注意すべき点も多いというが、「経験の全くなかった私でもできるのだから、このような取組みはどこの高校でもやろうと思えばできます」と力を込めて語る。
共生推進教室を運営するうえで必要なこととして、「小・中・高校とそれぞれの現場が連携して引き継ぎがしっかりできること」「困った!というときに相談できるところがしっかり確保されていること。ウチの場合は大阪教育大学ですが、アドバイスしてもらえるところが確保されていれば大丈夫です」。
「教師のなかでも特にあるていどベテランの域に達した高校の教師が特別支援教育について理解できていないのではないのでしょうか」確かにその通りだと思う。高校での障害児受け入れが進まない最大の要因は現場の意識の問題なのだろう。それ以外の大きな壁は現場を視察した限りでは見受けられなかった。
訪問した日に視察した授業は生物の時間。男子、女子生徒に混じって彼はいた。教師の講義を聴きながらプリントを仕上げてゆく。彼の隣に張り付いて授業中ずっと、一生懸命プリントづくりを手伝う男子生徒の姿。
休み時間、校長先生と校舎内を歩いていると向こうから件の男子生徒が歩いてくる。校長先生の「○◎君をいじめてないか?」の問いかけに、彼はいたずらっぽく「いじめてるよ!」と笑いながら去っていった。こんな光景はそこいらじゅうにあってよい。

◆府立枚岡樟風高校分室の親校である府立たまがわ高等支援学校も『生きる力・仕事の知識と技術・働く意欲と生活習慣』を掲げ、最新の設備を整えて知的障害児の就労に先進的に取り組んでいる学校です。施設の概要を写真で紹介します。

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誕生の現場から〜船橋中央病院周産期センター〜

船橋市内の病院(船橋中央病院)に周産期センターが開設されて5年目。それまでは妊娠6ヶ月未満の超早産など専門的なケアが求められる出産は松戸市、千葉市、東京都内の病院に搬送されていましたが、船橋市にNICU(新生児集中治療室)を備える周産期センターができてからは、千葉県の周産期死亡率も全国平均を下回るようになった。

ただ、子どもや母体の救命率の向上も医師や看護師などスタッフの献身的な努力によって支えられていることを現場に伺って痛感した。
24時間気の抜けないケア、他病院からの緊急搬送…。担当医や看護師の当直は月8日から10日に及び、「このままでセンターを維持できるのか」。現場からは不安の声も聞かれる。

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船橋中央病院の周産期センターの入院者数は平成15年の開設以来、5年間で約1000人にのぼり、このうちの7割が船橋市民とのこと。(上のグラフは体重別の生存状況。500gなら50%以上、800gを超えれば9割以上小さな命を救うことができる)
低体重児の出生は年々増加しており、同センターでも開設した15年度は196人だった入院数が昨年度は266人へとハイリスクの患者は確実に増えている。不妊治療の進歩に伴って双子など多胎妊娠が増えていることや妊娠中の過度なダイエット等いろいろ原因は考えられるとのことだが、28床のNICUは現在、満床の状態。
加えて誕生後、同センターと同じレベルのケアを施せる施設がないため、1年2年と入院が長期化している長期入院児が増えており、本来の目的である急性期の患者を受け入れられないという問題も顕在化しつつある。
長期入院児の問題は同センターに限ったことではなく、全国的に問題となっており、受け入れ可能な施設整備など早急な対策が求めらている。

「いつになれば大通りの整備が終わるの」「高齢者も安心して歩ける歩道を早く造って」等々、市民相談の大半は道路に関する要望です。ムダな道路どころか、必要な道路整備すら大きく立ち後れている、幹線道路が未整備のために生活道路に大量のクルマが流入し、住民の安全を脅かしている状況を早く改善しなければならない、道路整備は最重要の課題…。これが船橋の実情です。

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いま、道路特定財源を巡っての議論が加熱しています。
上のグラフは道路特定財源の暫定税率が廃止された場合の船橋市の影響額を試算したものです。船橋では平成18年度で21億円あった道路整備のための財源が11億円へと約10億円の減収となる計算になります。これは来年度以降、3・4・27号線を含め新規の道路整備は全て凍結、痛んだ道路の補修しかできないということを意味します。もちろん地元自治体としては「予算がないので道路整備はできません」では済まされませんから、福祉や教育など必要な予算を削って財源を捻出せざるを得ない、結果として市民生活にしわ寄せが生じることになります。
原油高騰に起因する市民負担の軽減策、中小企業対策、これらは暫定税率の維持か廃止かという二者択一の議論で正解が得られる問題ではないはずです。もっと冷静な議論が必要だと思っています。

一つ屋根の齎すもの〜富山型デイサービスの現場で〜

「このゆびとーまれ」を訪問して、何とも自然な雰囲気であるとの印象は以前の記事でも触れた。そうした自然な空間を維持するためには人手がかかることも書いた。多くの人が運営に係るなかで、運営に携わる側の人々にも様々なドラマも生まれている。伺った際、西村副代表は「私たちの方が教わることが多い」としみじみとした口調でその一コマを語ってくれた。

『このゆびー』で働くスタッフは28人。そのほかに有償ボランティアが6人。有償ボランティアは全て養護学校の卒業生で、年間30〜40万円程度の報酬を支払っている。そのほかはみな「お昼だけ食べていってください」という以外は一切無償のボランティアだ。
無償ボランティアは主婦も多い。そのなかに家庭のなかがうまくいかず、心の病を患った人もいた。家にることが堪えられないという事情もあり、『このゆびー』のボランティアに応募した。週1回のボランティアだったが、利用者やスタッフとのふれあうなかで本人自身が癒され、いつの間にか病気も完治した。「私は死ぬことも考えていました。お陰で命拾いしました」。後に本人が漏らした言葉に西村さんは初めてハッとしたという。
ホームページ等でボランティアに常に門戸を開いている『このゆびー』。最近はニートの応募も目立つという。「最初はお母さんときます」。人との関わりになれていないため、最初は外で車洗いの仕事などをしてもらうというが、だんだん慣れて楽しみに通ってくる人も多いという。
”子どもから高齢者まで、障害のあるなしに関係なく一つ屋根の下で暮らせる”そんなある意味当たり前のケアサービスを提供したとの思いではじめた事業も、はじめのうちは「あそこは法律に違反したことをやっている」と陰口をたたかれた。創設メンバーの情熱で今日に至った『このゆびー』の運営はいまでも決して楽ではない。それでも多くのドラマを紡ぎだしている『このゆびー』。こうした取り組みを支援する施策を打つことはもちろん大切だ。ただ、少なくと『このゆびー』のような”場”は制度をいじるだけで創出できるものではないことも確かだ。

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「10月以降、支援費の額が10%以上さがってます。お陰で借入金の償還資金がすっ飛びました」「いまの単価設定は、新規に事業をやろうとする法人のための単価設定になっていない。生産活動を行なうための設備投資の資金までは支援費ではでないんです」「これから福祉工場など障害者の就労の場を増やしてゆくためには行政の考え方を変えていくことが不可欠」。大西専務理事の口からは厳しい言葉が続く。ただ、その一方で「うちで働く障害者は半数以上が重度ですが、それでも仕事はあるんです。できるんです」「働いて給料をもらって、税金を納める。それを可能にするかどうかは、本人と家族と、そして行政の意識の問題なんです」と語る言葉に力がこもる。

『C・ネットふくい』で障害者が携わっている仕事は、極めて多岐にわたっている。▽コシヒカリや野菜の生産・販売▽ベーカリーの製造・販売▽平たねなし柿による干し柿の製造▽餅菓子の製造・販売▽天然塩の製造・販売▽花卉の販売▽クリーニング▽コインランドリー▽リネンサプライーなどなど。販路のひとつとして自前のコンビニなども展開している。
就労・雇用促進に向けてどのような仕組みを考えるべきなのか、根底にある考え方は(1)職の提供は食の提供、障碍者の生活自立支援の根本(2)個々に合った職業の提供は、個別支援計画の一部(3)顧客の満足する「ローコスト・満足福祉」の追求は、福祉関係者・施設経営者の責務(4)良質な職員の育成が障碍者の就労・雇用支援に不可欠ー。理念もさることながら、これだけ多くの就労の現場を抱えているだけあって、個々の特性に応じていかに安定的な就労に結びついてゆくかについてのノウハウを蓄積していることが何よりの強みだということを訪問して感じた。
また、特に(4)の「良質な職員の育成が障碍者の就労・雇用促進に不可欠」という点に関して「C・ネットふくい」の取り組みは参考になる。障害者の就労を支援するためこの世界に飛び込んできた職員は、少なくともその当初は誰にも負けない情熱を抱いていたはずだ。そうした情熱の炎も、自分の意見が組織の中で取り上げられず、逆に組織の側の論理を押しつけられていては、やがては萎えてしまう。職員のやる気が萎えてしまえば、結果として障害者の就労・雇用を促進する方向への推進力も萎えてしまう。どのような組織であれその盛衰の鍵を握るのは所詮は人だ。
この点に関して、「C・ネットふくい」は全職員に対して、現在の率直な思い、法人の将来への希望・不安、事業に対する提案等について意向調査を行い、その結果を踏まえて間髪入れずに改善策を講じている。この取り組みは一般の民間企業でも学ぶべきことだと思う。
「福祉だから、障害者だから」という言い訳だけをいい募っているだけでは、これから先も障害者の雇用は進まない。促進するための施策も重要であることは勿論だが、いかに優秀な人材を集めるか、その人材を活かすのかがこれからの重要な視点になってくるのは間違いない。
◇          ◇           ◇
冒頭の写真は、職員の自家用車を洗車・ワックスがけしている光景。「一般企業に就労した障害者がリストラされて、何か仕事はないかと考えて見つけた仕事です」(大西専務理事)。ボディに食い込んだ鉄粉を粘土で丁寧に落とし、ワックスがけまでして料金は3,000円也。1日2台で少なくとも2人分の人件費はでる。「ここは工業団地の一角にありますから、その立地を生かして各工場にも営業をかけて、仕事が途切れることはありません」。真剣に探せば仕事はどこにでもあるということ。

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「なぜ雇用と非雇用を区別しなければならないのか。

国は、生活介護の制度を造っておきながら、なぜ非雇用の人たちを生活介護の支援としないのか。それは、施設経営者が障碍者を金儲けの材料と考えているからでしょう。私は、障碍者の尊厳を無視した、金儲けの輩には同意も協調もしません。

(中略)私の今年の活動は、障碍者を出汁(ダシ)にしての金儲けの亡者と打算家との戦いであることをお知らせしておきます」(C・ネット福祉会 松永正昭会長『C・ネットは「非雇用はしない」について』から引用)

障害者自立支援法において、・施設を出て就職した者の割合が少ない(1%)・授産施設の工賃が低い(平均月額15,000円)・離職した場合の再チャレンジの受け皿がなく、就職を躊躇する傾向があるー等これまでの反省を踏まえ、一般企業(特例子会社を含む)への就労に結びつける前段階として新たに就労継続支援事業が創設された。

就労継続支援事業はさらに雇用型(A型)と非雇用型(B型)という2つのタイプに分けられる。このうち雇用型は文字通り雇用契約に基づく就労であり、労働関係法令の適用を受ける一般的な形態、労働者としての権利が保障された就労形態だ。一方、非雇用型は就労移行支援事業を受けたが一般企業や雇用型の就労に結びつかなかった者の就労形態であり、雇用契約に基づかず、賃金(工賃)も最低で月額3,000円程度と極めて低い。
ここで押さえておかなければいけないことは、障害者が一般企業への就労、または雇用型の事業に就けるかどうかは、本人の能力の問題ではなく、本人が暮らす地域にそれだけの受け皿が整っているのかどうかにかかっているということだ。障害者雇用の促進を目指して福井県内に通所授産11施設、福祉工場8施設を展開する社会福祉法人「コミュニティーネットワークふくい」(愛称C・ネットふくい)。

そもそもの設立母体は「手をつなぐ親の会」で、平成3年に通所授産施設「クリエートプラザ金津」を開設したのを皮切りに翌年には福祉工場「エフエフ福井」を創業。その後も矢継ぎ早に県内各地に授産施設、福祉工場を展開している。ちなみに福祉工場は全国に60数施設あるがそのうちの10施設が福井県内に集中している。
「親の会の会員は県内各地にいる。授産施設・福祉工場を各地域に造ることは当初からの構想でした。

ただ、15年で20カ所と急速に増やしていることに対応した職員の養成などは大変です」と語るのは『C・ネットふくい』の大西澄男専務理事。
現在、通所授産施設で205名、福祉工場で197名。企業への就職者86名への支援を含めると県内知的障碍者の57%の就労をサポートしている計算になる。
これだけの就労を支えるためには、それに見合った仕事がなければならいないことになる。それも単発ではなく持続性のある仕事を常に探し求めなければならない。この点について、「C・ネットふくい」の取り組みは非常に学ぶべきものが多いといえる。(続く)

制度の壁を乗り越えた先に広がる地平〜富山型デイサービスの現場で〜

”子どもから高齢者まで、障害のあるなしに関係なく一つ屋根の下で暮らせる”そんな共生社会の実現を目指す試みとして、平成15年から構造改革特区事業として実施されていたいわゆる「富山型デイサービス」(制度的には高齢者を対象とする介護保険の通所介護事業所でも知的障害者、障害児のデイサービス利用を可能にすること)が10月から全国どこでも実施できるようになった。当然、私の住む船橋でもやる気になればできるようになった。

富山型デイサービスは、平成5年富山赤十字病院に勤務していた3人の看護師が退職金を出し合って開設した『デイケアハウスこのゆびとーまれ』から始まった。現在のNPO法人「デイサービスこのゆびとーまれ」理事長惣万佳代子さんらが、”お年寄りがお年寄りらしく生きられる居場所”をつくりたいという”当たり前の動機”から行動を起こし、縦割り行政の壁、制度の壁と闘いながら、徐々に共感の輪を広げ、富山型デイサービスとして全国的な評価を得るまでの経緯は『このゆびとーまれの公式ページ』に詳しい。
たった3人から始まった富山型デイサービスが、どこでも実施可能な新たなスタンダードとなった。富山型デイサービスはこれから全国に広がってゆくのか。『このゆびとーまれ』の西村副理事長は「制度化されたことが本当に喜ぶべきことなのかどうか」とも語る。

制度の壁を乗り越えた先に広がる地平〜富山型デイサービスの現場で〜

このサービスの草分けとなった「このゆびとーまれ」を訪問した私自身の感想は、何と言っても自然な雰囲気。開放的な室内の片隅に椅子に腰掛け本のページをめくるおじいちゃんがいて、その傍らでおしゃべりしながら手作業をする子どもとおばあちゃんがいて、いっしょになって談笑するボランティアの学生がいて・・・。みなそれぞれに認知症や知的障害などハンデを負っているのだが、お年寄りから子どもまで障害のあるなしにかかわらず一つ屋根の下にいる、そんな空間が何とも自然で、そこに身を置く私自身も落ち着ける、いつまでもここに腰を落ち着けていたい気分になる(但し、私たちの応対をする間も西村副理事長はじめスタッフの方々は周囲への目配りを常に怠っていませんでした。即ち自然な空間を維持するためには多くの人手を必要とするということです。)

さて、今後こうした自然なかたちのデイサービスが全国的に広まってゆくのだろうか。そもそも富山型デイサービス発祥の地である富山市では今後の展開についてどのように分析しているのか。(障害者のデイサービスについては訪問した時点でもまだ混乱があり、行政としても正確なデータを示すことはできませんでした。この点についてはご容赦ください)
「富山型デイサービスを標榜する事業所は市内で30以上ありますが、ほとんどは介護保険(高齢者)のみの利用で、障害者を受け入れている施設は極めて限られています」とは富山市障害福祉課の説明。
「制度化の善し悪しはこれからの流れの中で見極めていかなければなりません。私たちは目の前のニーズに合わせていたらこうなったといこと」とは『このゆびとーまれ』の西村副理事長の弁。
制度の壁を乗り越えたといっても、事業所の経営を左右する肝心の制度は依然として縦割りのままだ。高齢者については介護保険、障害者については自立支援法に基づく報酬、障害児についてはレスパイト事業に対する助成といった具合で、こうした事業を永続させるために責任を持つセクションが少なくとも国には存在しない。また、”高齢者から子どもまで、障害のあるなしにかかわらず一つ屋根の下で”という形態でのサービス提供をするかどうどかは、事業主体の考え方次第でもある。
「私たちもこのかたちが決してベストだとは思っていません。高齢者だけのほうがよいという方はそちらに行けばよいし、要は利用者の選択の問題です」
ただ、そうした選択肢が身近にたくさんあることの意義は大きい。「誰もが一つ屋根の下で」という理念を持つ事業所が育つ環境づくりをこれからはそれぞれの地域が考えてゆかなければならない。