つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党
つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党

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最近、年金に関する相談を数多く受けます。相談を受けて動くなかで、特に民主党が熱心に行っている年金制度が悪い、だから抜本的な制度改正が必要だとい う宣伝は明らかに間違っているという感を強くしています。悪いのは旧社会保険庁の職員をはじめとする役人だ!と叫びたい。そして、その悪い役人が年金機構 に看板を替えた後も、高齢者を泣かせている実態を見るにつけ怒りを覚えます。怒りを覚えますが、年金の問題は本当に冷静な議論が必要だと思い直し、冷静に 書きたいと思います。以下はWEB版に載せなかった「ハローふなばし」の記事です。最初に強調しておきたいのは、年金制度と低所得の高齢者対策は分けて論 ずべき課題であり、ここを混同してはいけない、ということです。
【ハローふなばし 09年8月5日号】

老後の暮らしを支える最も大きな柱である「年金」。そのあり方について各政党がいろいろなことを主張しています。民主党などは抜本的な制度改革が必要と 主張していますが、そもそも政権が変わるたびに年金制度が変わっていては、老後の生活設計などなりたちません。本当に抜本改革が必要なのかというところか ら考えてみました。
年金制度の論点は、現行の仕送り(賦課)方式を維持するのか、それとも老後の蓄えは自分で積み立てるという方式に変えるのか、という問題がひとつ。
そして、もうひとつが基礎年金部分の財源を現在の保険料方式をメインに賄うのか、それとも税金で賄うのかという問題です。
①では、仕送り方式か積み立て方式かについて考えてみます。

現在の年金制度は現役世代が高齢者の年金を保険料のカタチで負担する仕  送り(賦課)方式をとっています。
「いまの年金制度は崩壊する」といった根拠のない話(本当は崩壊などしない)を吹聴する勢力が政治やマスコミのなかで勢いを得るのに歩調を合わせるように、自分が貰う年金は自分で積み立てる積み立て方式にしたほうが確実だと主張する人が目立つようになってきています。
結論からいえば、いまの仕送り方式から積み立て方式に変えねばならない理由は全くありません。

積み立て方式の場合、将来受け取る年金を増やすため積み立てたお金を運用することになります。株を買うのか、国債を買うのか、銀行に定期預金で預けるの か、実際にはこれらの手法を組み合わせて運用することになると思いますが、いずれにせよ、年金を受け取るまでの30年、40年といった期間で果たして何% の利回りで運用できるのかを正確に予想できる人間などいません。
現行の仕送り方式では、いざというとき仕送りする現役世代に「もうちょっとだけ保険料の負担をお願いできないか」という調整は可能です。

現行の仕送り制度にはそのようなことはおこりません。端的にいって積み立て方式は平均寿命以上に長生きすることを歓迎しない制度です。あくまでも個人の 責任において公的年金にプラスする形で自分の貯金を運用するのは全く自由です。ただ、国民の老後の生活を根底で支える公的年金にこの考え方を持ち込むこと は絶対に間違っています。
積み立て方式にすべきでないということを長々と書き連ねてきましたが、積み立て方式のメリットがひとつだけあります。それは、少なくとも年金については政治家が責任を負わなくともよくなるということです。
頭のいい人たちが考えた金融工学の成果を取り入れた絶対に儲かる商品だといわれたのに、サブプライムのせいで受け取る年金額が減ってしまった、「どうし てくれるんだ」という怒りに対して、政治家は「ご愁傷さまです。政治はあしたの株価すらコントロールできません。文句をいわれても困ります。そもそも積み 立て方式の方が良いと判断したのはあなたでしょう」といえばすむようになります。そんな無責任な方式に改めるべきだと主張する政治家には少なくとも税金か ら高い議員報酬を払う必要などないと思っています。
仕送り方式の場合は、受け取る年金額が増えるか減るかは、ひとえに少子化対策・子育て支援政策が効くか効かないかにかかっています。そしてそれは政治が本気で頑張れば何とかできる問題です。

一人の人間が持ちうる問題意識、簡単に言えば、これは何とかしなければいけない、早急に改善しなければいけない、という気持ちを抱く事柄というものは、わずかなものです。どんなに頭の良い人間でもたかが知れています。
一人の人間が持ちうる問題意識が大きな旅行カバン一杯として、世の中の矛盾や不公平というものはヒマラヤほどにたくさんあります。そのなかで政治がなんとかしなければいけない問題も富士山ほどにたくさんあります。
議員と言う立場で多くの方の声を聞くなかで実感していることを書きます。政治に求められるのは、人びとが直面する問題を丁寧に、こまめに拾い上げるフットワークとネットワークであり、それを持たない政党は真に国民のための政治は行えないだろうと考えています。
公明党は、一貫してフットワークとネットワークを身上に、たとえたった一人の声でも国を動かさなければ解決できない問題は国会議員にもつなげるなど、 「一人の困った」を何とかするために多くの議員が関わってきました。古くは教科書の無償配布から児童手当の創設と拡充、白内障手術の保険適用などなど、地 方議員が「一人の困った」という声を国政の場に届けたことによって数多くの実績を積み重ねてきました。いまは3,000人を超える議員が一人の「困った」 を受け止めるために走っています。
こうして積み上げてきた公明党の実績に対するマスコミの評価というものは、極めて限定的です。それは当然なことだろうとも思っています。それだけの問題意識を持ち合わせていないのですから。
「困っている人の声をうんと聞いているんだ」という自負が私たちにはあります。
マスコミの評判が良かろうが(ということはまずない)、悪かろうが「この人の困ったを解決するためには是が非でもやらなければいけない」という強い思いが根底にあればブレることはありません。
また、「この人の”困った”を解決するために必要なことならば他党の政策でも良いものは良いと評価する」という姿勢であれば、野党時代の民主党のように、何でも反対というような「国民のためにどうなのか」という視点を置き去りにした立場もとることはないはずです。
ネットワーク政党を標榜する公明党のいまあり方が100点満点だというつもりはありません(成績をつけるのはあくまでも有権者ですから)。ただ、特にこれからの時代は、「一人の困った」を掬い上げるために汗を流す政党の必要性は益々高まってくると考えています。
話を整理すると、言いたいことは「できもしない政策を掲げる政党を選択すると、国民にとって無益どころか大きな弊害をもたらす」「いまの政治に求められているのは一人一人の声が届く政治」の二つです。

なぜ政権与党の政策はぶれるのか?
話が長くなるかもしれませんので、先に結論から書いてゆきます。
なぜ政権与党(ここでは、ほとんど民主党のことをいっています)の政策はぶれるのか?答えは国民の声を本気で聞こうとしていない、聞く耳を持たないからです。
民主党が掲げる政策は国民目線で本気で検討した政策ではなく、選挙で票を稼ぐにはどうすればよいかという視点で考えた政策、いいかえれば、いまの時代において世論形成に極めて大きな影響力を持つマスコミ受けするかどうか、の視点で考えたもの、しかも、本当に実現できるかどうかは二の次で考えた政策だからです。
票を稼げるかどうか=マスコミ受けするかどうか、で前面に押し出された政策は、マスコミの評判が芳しくない=マスコミ(報道)を見聞きした有権者の評価が下がる=票を稼げない、となれば敢えてその政策を実現しようとは思わなくなります。結果として、やりますと公約していたものを中途半端で終わらる、変えますと公約していたものを結局もとに戻すといったブレが生じます。
有権者にとっては「うまいこと言って、結局だめじゃん」ということになりますが、問題はこれだけではすみません。
例えば子ども手当。どう考えても財源が足りないにも関わらず、民主党は一人当たり月額2万6千円を所得制限なしで支給すると公約して政権を取りました。当然のことながら財源がないため、今年度は一 人当たり1万3千円と公約の半額になりました。しかも全額国費で賄うと言っていた約束も果たせず、地方にも負担を押し付ける羽目になり、ただでさえ厳しい 地方財政をさらに圧迫する結果になりました。こうしたドタバタに対して、子育て世代に対して経済的な支援を行うこと自体に批判の矛先が向けられるように なってしまいました。
「なかなか声にならない子育て世代のお母様たちの経済的な御苦労」を受け止め「必死になって公明党が、児童手当の拡充、財源を探しながら、またそれを見 つけながら、一つ一つひねり出しながらやってきた」子育て支援の大きな柱が、できもしないことを公約した政党のお陰で、「声にならない苦労」がかき消され ようとしています。(参照:子育て支援について考える
普天間飛行場の移設についても、「友愛」を説く鳩山首相の取った行動は結果として人と人との対立を煽っただけです。
選挙で票を稼ぐために、できもしないことを公約する煽動主義の政治がもたらす副作用の深刻さを、いまの政権は見事なまでに示してくれています。

3月議会で療育支援と特別支援教育について質問した背景にはこれまで市内の教育現場等を訪ねて、私なりに受け止めた問題点を議会で取り上げるとともに、少しでも支援施策が前進するよう提案をさせて頂きました。今回質問を行なった背景として、現場へ足を運んでの調査以外に、長くアメリカで発達障害児のための教育コーディネータを務められた方のお話も私自身大いに参考になりました。この機会に話の要旨を記します。

全米の障害者数は軽度から重度まで含め600万人。95年から96年にかけて自閉症児は2万8000人いる。

インクルージョン教育への流れ。75年に3歳から21歳までの公教育を無料とする法律が成立、療育には早期の診断・査定、早期介入が必要なことから、80年には0歳から無料とするように拡大。この結果、障害児教育は0歳から21歳まで無料となった。92年障害児をより拘束の少ない環境≒普通学級へ措置することを定める改正法が成立した。ただし、障害児を一律に普通学級に措置することを強制してはいないことに留意が必要。障害児のニーズにマッチするプログラムにつかせるということ。
障害児一人当たりの公教育費は3万3000ドル。インクルージョン教育に政治が目を向けた背景についても考える必要がある。

インクルージョン教育実施に対して全米LD児親の会は反対運動を展開した。子どものためには専門的な知識とスキルと設備が必要と訴えた。インクルージョン教育は非現実的なインクルージョンまで強制するものではない。

障害児を受け入れる側の教師の考えはどうか。インクルージョン教育の必要性は理解しても、専門知識や経験の欠如から受け入れ難いと思っている。IEP(個別教育プログラム)の作成責任も大きな負担だ。
フルインクルージョン、パーシャルインクルージョン、完全に分離された特殊教育のうちどれが最も有効かを教師に問うた場合、パーシャルインクルージョンが有効と考えている教師が最も多く、次いで分離教育を挙げる者が多い。

インクルージョン教育を成功させるにはクラス内の障害児の数もカギ。ニューヨーク市の場合はキンダー(幼稚園)から小学校3年生までは16人から18人に担任とアシスタント2人が配置されている。障害児がいればさらに加配される。小学校中学年(4、5年)で1クラス28人+障害児8人、これに対して担任1人、障害児担任1人、アシスタントの計3人体制で、指導に当たっている。

普通学級を含め、障害児をどのような環境に措置するかの判断のベースは必須科目の学習効果がどの環境で最も向上するのか、必修科目以外の社会性、言語行動発達が期待されるか、本人にとってどのような能力が必要なのかなど。

日本におけるインクルージョン教育成功のための課題
フルインクルージョンは障害児のニーズに答えられるサービスが提供されなければ意味がない。従って以下のような環境整備が求められる。
・ クラス担任は障害児に対する教育を適正にかつ効果的に行なうことができる教員であること。障害児への指導、クラスマネジメントを効率的・効果的に行なうことができる能力を有していること。
・ 学校全体で係ること。特にクラス担任と校長等管理職は障害児への態度に留意すること。
・ クラス担任が障害児の不適切な行動に対応する技能を持っていること。(一部の自治体で普通学級在籍障害児へのサポーターを導入しているが、クラス担任が障害児への対応をサポーターに任せきりで連携が取れていないケースが多い。サポーターが休んだとき担任はどうするのか?)
・ 全ての児童に対する授業レベルが下がることのないような指導ができること。
・ 障害児の状態を随時把握していること。
・ 教師の授業をモニターし必要な指導研修を行なう。校長教頭も特別支援教育の専門家であることが求められる。
・ 人権問題と教育問題の混同を避ける。保護者の意見聞くことは法令上規定されているが、こどものニーズを客観的に見なければこどもも苦労することになる。
・ 個別教育プログラムの作成方法について全ての教師が共有すること。IEP作成のもととなる学際チームの設置が必要になる。一人の患者に専門家が出て診断査定に当る。(ソーシャルワーカーがまず資料を集める。小児科医、臨床心理士、言語聴覚士必要に応じて作業療法士、理学療法士、精神科医)
・ 大学の特殊教育の充実。双極性障害への知識も必要。実習期間の延長。
・ コーディネータの訓練。アメリカはソーシャルワーカーがこの役割りを担う。
・ 医療・福祉など専門家による支援チームが絶対に必要。(例えば児童精神科医の数は日本が100人に対してアメリカは4万人)
・ 専門医が薬を処方した後、必ず家庭や学校からのフィードバックをもとにフォローすること。(リタリンをいわれるがままに処方するような精神科医など論外)
・ クラス全体の理解を求める努力
・ インクルージョン教育に対する保護者の理解の徹底。(健常児の保護者から必ず不満の声が上がる。何故、共生を教えるのか、根底の哲学、目標とするところを保護者に理解してもらうための粘り強い努力が必要。保護者の協力なくしてインクルージョン教育の成功はない)

日本人はひとたび決めた目標を達成するため、精密なプログラムを組み立てることに関しては極めて優れた能力を持っており、特別支援教育へのチャレンジも恐らく成功させるだろう。ただし、その過程で犠牲者も出てくるだろうと思っている。犠牲者となるのは特に現場の真面目な教師だ。燃え尽き症候群に陥らないことを願う。この国で犠牲者を出さないための方策は何か。教師の雑用からの解放と、モンスターペアレントの一掃だと私は感じている。

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「高校に上がっても共に学びたい」
障害のあるなしに係らず子どもが成長するなかで地域・社会で暮らす、生きる力を身につけるために教育はどのような支援ができるのか、あるいはすべきなのか。国内でもこうした問題意識に立った試みが様々行なわれているが、いまだ「こうすべきだ」という支援策は確立されていない。その結果「同じ日本なのになぜこんなに違うの?」というくらい障害児の教育環境は地域によって大きく異なる現状がある。この点に関して大阪府は高校においても共に学ぶ環境づくりに積極的に取り組んでいる。平成18年度から知的障害児が通うようになった東大阪市の府立枚岡樟風高校を訪ねた。

平成18年度より共生推進モデル校として「たまがわ高等支援学校ものづくり科」の共生推進教室が枚岡樟風高等学校に設置されました。知的障害の生徒が入学し、社会的自立を目指して枚岡樟風高等学校の生徒と共に生 活し共に学んでいます。
◆教育の基本方針
地域社会で自立して生きる力の育成を図り、働く為の知識や技術を育み、社会人としての生活習慣や働く意欲を培う。
◆入学資格
1) 療育手帳を所持しているもの、または児童相談所等の公的機関で知的障害と判定を受けた者。
2) 在籍する中学校等の校長の推薦を受けた者。
3) 自主的な通学が可能で、就労を通じた社会的自立を目指しているもの。
以上は、同校のホームページからの引用。
大阪府の場合、障害児が一般の高校で共に学べるようにする手法として高校側に自立支援コーズなど独自の課程を設けるやりかたと、新しい試みとして養護学校(特別支援学校)の分室を高校に設けるやり方の二通りがある。2つの手法の違いは高校側に自立支援コースを設けた場合、加配する教員の人件費等は府の持ち出しとなってしまうこと、一方、養護学校の分室とした場合は養護学校のいわば手厚い基準で教員が配置されることから、府の持ち出しは少なくて済むこと。ただしこの場合は卒業証書は養護学校の卒業証書となること。こうした違いはあるものの、実際の教育内容に大きな違いはない。
枚岡樟風高校は後者のケース、即ち府立たまがわ高等支援学校の分室(共生推進教室)の位置づけだ.
平成11年に府がまとめた教育改革プログラムで高校に分室を置き、交流を促進する方針を打ち出していたが、この方針を具体的なカタチにした新しい取組みだ。
共生推進教室の定員は各学年2名。訪れた時点(昨年10月)で、1、2年生合わせて4名が在籍していた。
同校のコーディネーター・栗山教諭は3年前まで府内の工業高校で教鞭を執っていたが、障害児j教育はまったく未経験。障害児教育のコーディネーターを務めるうえで、試行錯誤もあったという。保護者と様々話し合うなかで「涙もろくなった」と笑う栗山教諭。障害児は一般的に環境の変化に弱い、朝の1、2時間は大切に扱わなければいけないなど、接する上で注意すべき点も多いというが、「経験の全くなかった私でもできるのだから、このような取組みはどこの高校でもやろうと思えばできます」と力を込めて語る。
共生推進教室を運営するうえで必要なこととして、「小・中・高校とそれぞれの現場が連携して引き継ぎがしっかりできること」「困った!というときに相談できるところがしっかり確保されていること。ウチの場合は大阪教育大学ですが、アドバイスしてもらえるところが確保されていれば大丈夫です」。
「教師のなかでも特にあるていどベテランの域に達した高校の教師が特別支援教育について理解できていないのではないのでしょうか」確かにその通りだと思う。高校での障害児受け入れが進まない最大の要因は現場の意識の問題なのだろう。それ以外の大きな壁は現場を視察した限りでは見受けられなかった。
訪問した日に視察した授業は生物の時間。男子、女子生徒に混じって彼はいた。教師の講義を聴きながらプリントを仕上げてゆく。彼の隣に張り付いて授業中ずっと、一生懸命プリントづくりを手伝う男子生徒の姿。
休み時間、校長先生と校舎内を歩いていると向こうから件の男子生徒が歩いてくる。校長先生の「○◎君をいじめてないか?」の問いかけに、彼はいたずらっぽく「いじめてるよ!」と笑いながら去っていった。こんな光景はそこいらじゅうにあってよい。

◆府立枚岡樟風高校分室の親校である府立たまがわ高等支援学校も『生きる力・仕事の知識と技術・働く意欲と生活習慣』を掲げ、最新の設備を整えて知的障害児の就労に先進的に取り組んでいる学校です。施設の概要を写真で紹介します。

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誕生の現場から〜船橋中央病院周産期センター〜

船橋市内の病院(船橋中央病院)に周産期センターが開設されて5年目。それまでは妊娠6ヶ月未満の超早産など専門的なケアが求められる出産は松戸市、千葉市、東京都内の病院に搬送されていましたが、船橋市にNICU(新生児集中治療室)を備える周産期センターができてからは、千葉県の周産期死亡率も全国平均を下回るようになった。

ただ、子どもや母体の救命率の向上も医師や看護師などスタッフの献身的な努力によって支えられていることを現場に伺って痛感した。
24時間気の抜けないケア、他病院からの緊急搬送…。担当医や看護師の当直は月8日から10日に及び、「このままでセンターを維持できるのか」。現場からは不安の声も聞かれる。

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船橋中央病院の周産期センターの入院者数は平成15年の開設以来、5年間で約1000人にのぼり、このうちの7割が船橋市民とのこと。(上のグラフは体重別の生存状況。500gなら50%以上、800gを超えれば9割以上小さな命を救うことができる)
低体重児の出生は年々増加しており、同センターでも開設した15年度は196人だった入院数が昨年度は266人へとハイリスクの患者は確実に増えている。不妊治療の進歩に伴って双子など多胎妊娠が増えていることや妊娠中の過度なダイエット等いろいろ原因は考えられるとのことだが、28床のNICUは現在、満床の状態。
加えて誕生後、同センターと同じレベルのケアを施せる施設がないため、1年2年と入院が長期化している長期入院児が増えており、本来の目的である急性期の患者を受け入れられないという問題も顕在化しつつある。
長期入院児の問題は同センターに限ったことではなく、全国的に問題となっており、受け入れ可能な施設整備など早急な対策が求めらている。

「いつになれば大通りの整備が終わるの」「高齢者も安心して歩ける歩道を早く造って」等々、市民相談の大半は道路に関する要望です。ムダな道路どころか、必要な道路整備すら大きく立ち後れている、幹線道路が未整備のために生活道路に大量のクルマが流入し、住民の安全を脅かしている状況を早く改善しなければならない、道路整備は最重要の課題…。これが船橋の実情です。

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いま、道路特定財源を巡っての議論が加熱しています。
上のグラフは道路特定財源の暫定税率が廃止された場合の船橋市の影響額を試算したものです。船橋では平成18年度で21億円あった道路整備のための財源が11億円へと約10億円の減収となる計算になります。これは来年度以降、3・4・27号線を含め新規の道路整備は全て凍結、痛んだ道路の補修しかできないということを意味します。もちろん地元自治体としては「予算がないので道路整備はできません」では済まされませんから、福祉や教育など必要な予算を削って財源を捻出せざるを得ない、結果として市民生活にしわ寄せが生じることになります。
原油高騰に起因する市民負担の軽減策、中小企業対策、これらは暫定税率の維持か廃止かという二者択一の議論で正解が得られる問題ではないはずです。もっと冷静な議論が必要だと思っています。