つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党
つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|公明党

政権与党はなぜぶれるのか?できもしないことを公約して、「財源はどうする」という批判に対しては「そんなものは政権を取ればなんとかなる」とうそぶいて、政権を奪って、結局何もできなくて、挙げ句の果てには「このままではギリシャのようになっていまう」といって増税を持ち出す政権与党。
この間、私自身疑問に思っていたことは、「頭の良い人は民主党にもたくさんいる。弁護士だ、公認会計士だ、医者だ、教授だ、博士だ…。知性の持ち主は掃 いて捨てるほどいるにも関わらず、頭の悪い私が考えても、到底できないことをなぜ国民に公約するのだろう?」ということでした。
あれやこれや考えた末に、これしかないだろうと達した結論は、「上から目線で国民を、いや庶民を見下しているエリート根性がなせるワザなのだ」というこ とです。「できないことは分かっているけれども、この程度のことを言っていれば国民は欺ける。票を稼げる」という根性から発したことなのだということで す。

鳩山首相が辞めるときに語った「国民が聞く耳を持たなくなった」という言葉は、上から目線で国民を見下している人にしか言えない言葉です。そうした民主党の本質は党首が交代した後も何ら変わっていません。 続きを読む

鳩山氏が総理大臣に就任した際に唱えたのは「友愛」の政治でした。
そもそもこの「友愛」とは「EUの父」と呼ばれるクーデンホーフ・カレルギー(※)が提唱し、鳩山氏の祖父・一郎が日本に紹介したものです。
元祖”友愛”のカレルギー氏が今から40年前(1970年)に語った言葉をこの項の最後に書き留めておきます。

「民主主義は、今日二つの大きな危機に直面しています。一つは金権政治です。民主主義のもとでは、民衆は平等の権利をもっています が、しかし権力も平等なわけではありません。たとえば、今の世の中では、富める者のほうが貧しい者よりも権力をもっていることは否定できない事実です。だ から、どうしても民主主義は金権政治へと移行する傾向があります。」
もう一つの危機は、扇動主義です。これはテレビ、ラジオの発達によってますます危険なものとなってきていると思います。というのは、現 行の選挙制度のもとでは、とうてい実現不可能な計画であっても、あえて公約してはばからない政治家のほうが、それを言わない良識派の政治家よりも、当選で きるチャンスが、多分にあるわけです。」
「たんに知性の持ち主であるのみならず、民衆のためにつくす誠実の人でなければなりません。この点は、最も重要な指導者の要件だと思います。(中略)こ れからの指導者は、勇気をもって、金権政治や扇動主義と闘うことのできる人間でなければならないと思います。また、民衆のほうも、より賢明になり、そうし た、優れた人物、指導者を選ばなければなりません。」(以上、「文明・西と東」より抜粋)
当然のことながら、この時、インターネットはまだありません。

※クーデンホーフ・カレルギー 1894年東京・牛込にハンガリー駐日公使の父と日本人の母の間に生まれる。汎ヨーロッパ主義を提唱し、それは後世 の欧州連合構想の先駆けとなった。そのため「EUの父」と呼ばれる。大戦中、ナチスドイツの迫害でアメリカに亡命。「友愛」は、鳩山一郎がカレルギーの著 書を翻訳した際、彼が唱えた愛(フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛)を「友愛」と訳して紹介したのが最初。1972年7月没。

つのだ:高齢者が要介護状態になっても、可能な限り住み慣れた自宅や地域で生活を継続できるよう、支援するために地 域密着型サービスというものが平成18年度の介護保険改正により導入さた。そのひとつに認知症対応型共同生活介護、いわゆるグループホームがあり、本市の 介護保険事業計画においても「高齢者人口の増加に伴い認知症高齢者も増加して行くから、増加する認知症高齢者に対応するため、認知症対応共同生活介護の整 備を計画的に進めて行く」として、20年度末350床から、21年度以降毎年90床ずつ増やし、23年度には620床にすべく計画的に整備を進めている。
ここでは、認知症の方が住み慣れた地域で暮らし続けられるようグループホームを探して、ほとほと苦労したという話を伺い、私自身確かにそうだなと思った ことを質問させていただくが、本市の地域密着型サービスは収入の多寡に関わりなく提供されるように計画され、供給されているのか。端的に伺う。本市の認知 症対応グループホームのうち生活保護を受けている方が入所できるベッドはいくつあるのか。

答弁:グループホームは市内に25施設、404床整備されている、6月1日現在、グループホーム利用者数は380人で、生活保護を受けている方は40人入所している。

つのだ:この質問をしたのは、特に低所得者が地域密着型の施設に入所しようとした場合、どこの施設が入所可能 なのか極めて分かりづらいという相談を受けたのがきっかけだ。特に生活保護を受けている方が入所可能かどうかは、介護保険のガイドブックをめくってもどこ にも書いていない。
在宅であれば、ホームヘルプやデイサービスなど要介護度の限度内で差別なくサービスを受けることができる。施設系サービスでも例えば特別養護老人ホーム はユニット型はだめだけれども多床室は可能で、どの施設にどれだけのベッドがあるのかは簡単に調べることができる。また、現時点では多床室のベッドの割合 は7割以上を占めており、生活保護受給者だからことさら入りにくいという問題も起きてはいない。その一方でグループホームはそもそも生活保護受給者が入居 できるかどうかも直接施設に問い合わせてみなければよくわからない。
結論からいうと生活保護受給者が入居できるグループホームのベッドというものは極めて少ない。答弁で市内に25施設あって、生活保護受給者の入所は40 人ということだが、このなかには18床のうち15人が生活保護受給者という施設がひとつあり、これを除くと24施設で25人ということになる。実際に18 床あるグループホームに問い合わせても「生活保護受給者が入れるベッドは1床しかありません。いまは埋まっています」という答えばかりが返ってくる。地域 密着型のグループホーム等の事業所に関する許認可は、各市町村が独自に行うことになっており、 原則、住所地以外の他の市町村が実施する地域密着型サービスを利用することはできない。幸い隣の市のグループホームが空いているからそこに入所したいと いっても認められない。希望してもグループホームに入れないという現状は船橋市がなんとかしなければいけない課題だ。
一人暮らしで認知症を発症し、在宅での介護は厳しい、さりとて要介護度が高くないため特養への入所も直ちには難しい。そうした方が住み慣れた地域で暮ら し続けるために地域密着型のグループホームがあると思うのだが、このグループホームが低所得者に取っては入りづらいという現状に対して、行政としても改善 に取組む必要があるのではないか。

答弁:国において、居室・食費への補足給付を認知症グループホームなどにも拡大して、低所得者が利用できるようにスべきという意見があると聞いている。
市としても、国の動きを注視し、高齢者実態調査を通じて市民ニーズを把握し、多様な住まいという観点から施設・居住系整備のあり方について、次期計画のなかで考えてゆきたい。

つのだ:本市のリハビリの現状を眺めた場合、急性期病院から回復期を受け持つリハビリ病院の連係については、非常にうまくいっている。その一方で維持期のリハビリ、特に退院後、自宅に戻って移行のリハビリについてはまだまだ不十分といえる。
船橋市にはケア・リハビリセンターという立派な施設がある。もともと高齢者の福祉施設としてスタートしたが、平成10年の開設以来、利用者がなかなか伸びない、即ち施設を造った成果というものがなかなか見えてこない施設だ。
立派な施設があり、しかも保健師、理学療法士、作業療法士など専門職のスタッフがすでにいるけれども、利用者の推移からみても十分に活用されているとは 言いがたい。その一方で、維持期のリハビリ資源が不足しており、特にリハビリ病院ができて回復期までのリハビリの効果が目に見えて上がっているなかで、在 宅に戻ったら、十分なリハビリを受けられないため、折角回復した機能が衰えてしまったということでは、関係者の苦労も報われない。

そこで、現在のケア・リハビリセンターを維持期のリハビリを担う中核施設として位置づけ、リハビリ病院と連係しながら、維持期、在宅に戻って以降の地域でのリハビリシステム構築のために積極的に活用すべきと考えるが、どうか。
その際、特に訪問リハの充実、とりわけ不足している脳梗塞による失語症などに対応できるよう言語聴覚士によるリハビリの充実を図って頂きたい。社会復帰 のためにコミュニーケーション能力回復ということも極めて重要だg、現状、このためのサービスというものが極めて不足している。
もう一つにはメンタル面でのケアということにも重点を置いて取組んで頂きたい。脳卒中を発症してうつ状態になることが多いといわれるが、特に在宅復帰後 のリハビリでは極めて大事なことであるにもかかわらず、精神的な面でのケアが不十分になりがちだ。こうした面でも関係者のサポート、情報発信を是非とも 行って欲しい。
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答弁:ケア・リハビリセンターの機能強化については平成19年頃から検討してきた。
この検討のなかで、本市における地域リハビリ体制の構築において、ケア・リハビリセンターも維持期リハビリ施設として重要な役割を担って行くべきであ り、従来の事業のほかに診療所機能を持たせ、指定管理者により医療と介護保険の通所リハビリ、訪問リハビリなどを一体的に展開してはどうかとの構想をまと めたところ。今後細部の組み立てを含め本格的な検討を進めてゆきたい。
言語聴覚士によるリハビリの充実、メンタル面でのケアに関しては、市民からのリハビリに関する相談やリハビリ専門職への支援も視野に入れて研究してゆきたい。

つのだ:早急に構想の具体化を図ってもらいたい。その際、本市でこれも不足している障害者のリハビリにも是非 取組んで頂きたい。診療所を設置するということなら、リハビリと併せて身体障害児(者)の補装具についても医師の意見書から補装具の調整等までワンストッ プで必要なサービスが受けられる施設とすることを求める。

6月議会は11日(金)に質問に立ちました。今議会では(1)リハビリ病院と地域リハビリ(2)グループホーム(3)学校の部活―について質問しました。いつものことながら市民相談を踏まえて取り上げたものです。議論の概要をご報告します。

つのだ:リハビリについて、脳卒中などの疾患に対して、急性期から回復期にかけて集中的なリハビリテーションを行い、後遺障害の軽減や寝たきりを防止し、早期の社会復帰を図ることを目的に平成20年4月に市立のリハビリテーション病院がオープンして2年が経過した。
リハビリ病院の開院により、医療センターをはじめ急性期の治療を担う病院から早期に集中的なリハビリへ移行することが可能になったことにより、診療の効 果も目に見えて向上している。例えば開設した初年度の事業報告のなかで入院患者の退院先を見ても自宅に復帰した方の割合は全体で80.5%と全国平均の 69.8%を上回っている。特に、疾患のなかで最も多い脳血管疾患系で見た場合では全国平均の65.6%に対して81.0%と顕著な効果が見て取れる。ま た、疾患の発症から退院までの日数も脳血管疾患系で全国平均125.2日に対してリハビリ病院は105.8日と早期の回復という点でも効果を上げている。
ここでは、リハビリ病院退院後も含む維持期、主に自宅に戻ってからのリハビリについて提案し、それに対する考えを聞きたいが、その前にリハビリ病院の機能強化という視点から、1点だけ質問したい。
リハビリ病院では、患者に対して質の高いサービスを提供するために重視していることとして第一にチーム力ということを強調している。すなわち、医師、看 護師、ケースワーカー、PT、OT,ST等の療法士、さらにはソーシャルワーカーが朝夕のミーティング、入院時やその後の定期的なカンファレンスによって 各々が治療目標等の情報共有化を図っていることがこの病院の強みだ。
このチーム力を維持し、さらに向上させる上で行政が考えてあげなければならないこととして、これはリハビリ病院建設の段階で考えなければならないこと だったが、リハビリ病院に院内保育所を早急に開設して頂きたい。チームとして患者に関わっていることで目に見える成果を上げているリハビリ病院、その強み を最大限に発揮するためにはスタッフが長く働き続けられる環境を整えることが重要な課題。折角優秀なスタッフがチームに加わっても、また、リハビリ病院で 経験を積んで優秀なチームの一員として成長しても、結婚して出産した働き続けることができないということで辞めざるをえないとしたら、チーム力の維持すら おぼつかない。
特に本市の保育事情を考えた場合、優秀な人材に働き続けてもらう、ひいては市民のためにより質の高いサービスを提供してもらうためにも、院内保育所の整備は是非とも行ってもらいたいと考えるがどうか。

答弁:リハビリ 病院の院内保育所については、同病院を運営している指定管理者から、看護師等の確保のため保育施設を設置したい旨の要望がある。しかしながら、同病院は市 街化調整区域に設置されており、現状では保育施設を建築する基準がないことから、関係部署に建築の可能性について検討を依頼しているところだ。

つのだ:病院の保育所については建築の可能性について検討を依頼しているとのことだが、現実には難しい。理由は答弁にもあったが、病院が調整区域に立地しているからということだ。
都市計画法の34条において、市街化調整区域で許可される開発行為については厳しく制限されており、法律に列挙されたもののほか、開発審査会で認められ た行為以外は許可されないことになっている。そしてその開発審査会に付議できる開発行為の要件については船橋なら「船橋市開発審査会提案基準」というもの があり、どのような開発行為なら許可できるかを定めている。その基準のなかには病院の看護師寮はあるけれども病院で働く人のための保育所はないから、許可 できない。大体こんな理由で保育所は難しいということになっている。ただよその土地に行くと開発審査会提案基準のなかに病院の看護師寮に加えて病院に附属 する保育施設もオーケーとなっている。保育所の立地要件は当該施設の同一敷地内であること、ただし、同一敷地内に設置が困難な場合は隣接地であること。規 模、構造、設計等が当該施設の従事者の乳幼児のための保育施設として適切な施設であることなどの条件をつけて保育所の設置を可能としているところもある。 寮は可能で、保育所はだめだという船橋市の基準の考え方がどうしても納得がゆかない。
イケアというスェーデン発祥の組み立て家具の会社がある。4年前に船橋に日本進出第1号店を開いた。この船橋店では社員のための保育所を当初から計画に 組み込んでた。船橋に店を開くまでに世界34カ国に235の店舗を展開しているが、イケアが社員のための保育施設を店舗内に設けたのは世界でも船橋店が初 めてだった。
では、なぜイケアは日本進出1号店に保育所を設けたのか?IKEA側の答えは「日本の女性は結婚して子どもを出産すると会社を辞めてしまう(あるいは辞 めざるを得ない)。企業としては多くの時間とお金をかけて育てた人材を失うのはもったいない」ということだった。保育所利用の社員に対するアンケート調査 では7割近くが「保育施設がなければイケアでは働かなかった」と回答している。
船橋は立派なリハビリ病院をつくったが、病院の施設自体はただのハコであり、今後問われるのはその中身だ。病院というところは多くの職種、スタッフが一 人の患者に関わりる。治療の成果の善し悪しはそのスタッフのチームワークに係ってくる。そしてそのチームワークというものは一朝一夕でできるものではな い。良質な医療サービスの提供、そのための働き続けられる環境の整備ということ、これは病院のために言っていることではなく、市民のためという視点から申 し上げている。向かいの医療センターもいまのままではどうしようもない。市長には是非とも考えて頂きたい。

nennkinn1下の表は、新聞社が年金問題についてチームを組んで検討した中で、年金の財源として現行の保険料方式がよいのか、税方式に移行すべきかか、という点について各社の結論をまとめたものです。
朝日、読売は現行の保険料方式を支持し、日経は税方式を主張しています。

年金制度が崩壊する、と一部の政党が盛んに不安をあおっていますが、前号でも書いた通り、今の制度で年金が崩壊することはないということは明らかになっています。
そのうえで、あくまでも年金制度の抜本改革が必要だ、税方式のほうが良いと主張し続ける政党のいうとおりに”抜本改革”したら国民の負担はどうなるのか を示したものが下のグラフです。

左の青い棒が現行の保険料負担の水準、右のオレンジの棒が税方式に移行した場合の負担の水準を示しています。税方式に移行 すれば青い棒の負担がなくなり、変わりにオレンジの棒の負担が生じることになります。一目瞭然ですが、すべての年代で負担が増えてしまいます。(特に年金 受給世帯の負担増が最も深刻です)
ただ、これまで保険料の半額を負担していた企業だけは負担がゼロになります。日経がなぜ税方式を主張し続けるのかは、改めて書く必要もないと思います。
年金保険料を払い終わった高齢者が再び年金の財源負担を税のカタチで強いられることに対する批判を慮ってか、民主党は○公的年金控除の最低補償額を 140 万円に戻す。○老年者控除50 万円を復活する―とマニフェストに記していますが、特に影響が大きい低所得者の負担軽減には役に立ちません。そもそも税はだれにでも中立であるべきだとい う理由をつけて子育て世代の控除は廃止するという一方で、高齢者の控除は膨らませるという一貫性のなさというか、節操のなさは一体どこからくるのでしょう か?

最近、年金に関する相談を数多く受けます。相談を受けて動くなかで、特に民主党が熱心に行っている年金制度が悪い、だから抜本的な制度改正が必要だとい う宣伝は明らかに間違っているという感を強くしています。悪いのは旧社会保険庁の職員をはじめとする役人だ!と叫びたい。そして、その悪い役人が年金機構 に看板を替えた後も、高齢者を泣かせている実態を見るにつけ怒りを覚えます。怒りを覚えますが、年金の問題は本当に冷静な議論が必要だと思い直し、冷静に 書きたいと思います。以下はWEB版に載せなかった「ハローふなばし」の記事です。最初に強調しておきたいのは、年金制度と低所得の高齢者対策は分けて論 ずべき課題であり、ここを混同してはいけない、ということです。
【ハローふなばし 09年8月5日号】

老後の暮らしを支える最も大きな柱である「年金」。そのあり方について各政党がいろいろなことを主張しています。民主党などは抜本的な制度改革が必要と 主張していますが、そもそも政権が変わるたびに年金制度が変わっていては、老後の生活設計などなりたちません。本当に抜本改革が必要なのかというところか ら考えてみました。
年金制度の論点は、現行の仕送り(賦課)方式を維持するのか、それとも老後の蓄えは自分で積み立てるという方式に変えるのか、という問題がひとつ。
そして、もうひとつが基礎年金部分の財源を現在の保険料方式をメインに賄うのか、それとも税金で賄うのかという問題です。
①では、仕送り方式か積み立て方式かについて考えてみます。

現在の年金制度は現役世代が高齢者の年金を保険料のカタチで負担する仕  送り(賦課)方式をとっています。
「いまの年金制度は崩壊する」といった根拠のない話(本当は崩壊などしない)を吹聴する勢力が政治やマスコミのなかで勢いを得るのに歩調を合わせるように、自分が貰う年金は自分で積み立てる積み立て方式にしたほうが確実だと主張する人が目立つようになってきています。
結論からいえば、いまの仕送り方式から積み立て方式に変えねばならない理由は全くありません。

積み立て方式の場合、将来受け取る年金を増やすため積み立てたお金を運用することになります。株を買うのか、国債を買うのか、銀行に定期預金で預けるの か、実際にはこれらの手法を組み合わせて運用することになると思いますが、いずれにせよ、年金を受け取るまでの30年、40年といった期間で果たして何% の利回りで運用できるのかを正確に予想できる人間などいません。
現行の仕送り方式では、いざというとき仕送りする現役世代に「もうちょっとだけ保険料の負担をお願いできないか」という調整は可能です。

現行の仕送り制度にはそのようなことはおこりません。端的にいって積み立て方式は平均寿命以上に長生きすることを歓迎しない制度です。あくまでも個人の 責任において公的年金にプラスする形で自分の貯金を運用するのは全く自由です。ただ、国民の老後の生活を根底で支える公的年金にこの考え方を持ち込むこと は絶対に間違っています。
積み立て方式にすべきでないということを長々と書き連ねてきましたが、積み立て方式のメリットがひとつだけあります。それは、少なくとも年金については政治家が責任を負わなくともよくなるということです。
頭のいい人たちが考えた金融工学の成果を取り入れた絶対に儲かる商品だといわれたのに、サブプライムのせいで受け取る年金額が減ってしまった、「どうし てくれるんだ」という怒りに対して、政治家は「ご愁傷さまです。政治はあしたの株価すらコントロールできません。文句をいわれても困ります。そもそも積み 立て方式の方が良いと判断したのはあなたでしょう」といえばすむようになります。そんな無責任な方式に改めるべきだと主張する政治家には少なくとも税金か ら高い議員報酬を払う必要などないと思っています。
仕送り方式の場合は、受け取る年金額が増えるか減るかは、ひとえに少子化対策・子育て支援政策が効くか効かないかにかかっています。そしてそれは政治が本気で頑張れば何とかできる問題です。

一人の人間が持ちうる問題意識、簡単に言えば、これは何とかしなければいけない、早急に改善しなければいけない、という気持ちを抱く事柄というものは、わずかなものです。どんなに頭の良い人間でもたかが知れています。
一人の人間が持ちうる問題意識が大きな旅行カバン一杯として、世の中の矛盾や不公平というものはヒマラヤほどにたくさんあります。そのなかで政治がなんとかしなければいけない問題も富士山ほどにたくさんあります。
議員と言う立場で多くの方の声を聞くなかで実感していることを書きます。政治に求められるのは、人びとが直面する問題を丁寧に、こまめに拾い上げるフットワークとネットワークであり、それを持たない政党は真に国民のための政治は行えないだろうと考えています。
公明党は、一貫してフットワークとネットワークを身上に、たとえたった一人の声でも国を動かさなければ解決できない問題は国会議員にもつなげるなど、 「一人の困った」を何とかするために多くの議員が関わってきました。古くは教科書の無償配布から児童手当の創設と拡充、白内障手術の保険適用などなど、地 方議員が「一人の困った」という声を国政の場に届けたことによって数多くの実績を積み重ねてきました。いまは3,000人を超える議員が一人の「困った」 を受け止めるために走っています。
こうして積み上げてきた公明党の実績に対するマスコミの評価というものは、極めて限定的です。それは当然なことだろうとも思っています。それだけの問題意識を持ち合わせていないのですから。
「困っている人の声をうんと聞いているんだ」という自負が私たちにはあります。
マスコミの評判が良かろうが(ということはまずない)、悪かろうが「この人の困ったを解決するためには是が非でもやらなければいけない」という強い思いが根底にあればブレることはありません。
また、「この人の”困った”を解決するために必要なことならば他党の政策でも良いものは良いと評価する」という姿勢であれば、野党時代の民主党のように、何でも反対というような「国民のためにどうなのか」という視点を置き去りにした立場もとることはないはずです。
ネットワーク政党を標榜する公明党のいまあり方が100点満点だというつもりはありません(成績をつけるのはあくまでも有権者ですから)。ただ、特にこれからの時代は、「一人の困った」を掬い上げるために汗を流す政党の必要性は益々高まってくると考えています。
話を整理すると、言いたいことは「できもしない政策を掲げる政党を選択すると、国民にとって無益どころか大きな弊害をもたらす」「いまの政治に求められているのは一人一人の声が届く政治」の二つです。