■避難者に食料、飲料水は十分に行き渡ったのか?
つのだ:まず、食料と飲料水が避難者にどのように行き渡ったのかということについて伺う。市が災害に備えて市内の小中学校、特別支援学校に備蓄していた成人用の食料はクラッカーとアルファ米で、クラッカーが各避難所とも630食、箱数にして9箱。アルファ米が山菜おこわというのが150食、箱数で3箱。わかめご飯というのが100食、2箱。これだけが各避難所に備蓄されていた。市内全体ではクラッカーが約700箱、アルファ米が2種類合計で400箱弱備蓄されていた計算になる。これに防災倉庫の備蓄分が加わりるので市全体としての備蓄量はもう少しあったと考えられる。
今回の補正予算で使用した食料の補充分として購入した量はクラッカー112箱、7,840食、アルファ米53箱、2,650食。避難者に提供された備蓄食料はクラッカー、アルファ米とも全体の15%程度かそれ以下ということになる。これに対して食料が備蓄されている避難所に避難した人はピーク時とされる3月12日午前2時35分の時点で合計1,920人余り。一方で公民館など食料が備蓄されていない避難所に避難した人はピーク時で3,380人余り。
避難所の開設・運営ということで見ると、今回の震災の特徴は予め食料等の備えをしていた避難所よりも、そうでない避難所にはるかに多くの人が避難した、その多くは帰宅困難者だった。帰宅困難者の想定外の多さに近隣の備蓄食料をかき集めて移送しなければならないなど、食料や飲料水の確保にかなりの困難を来したということが言える。
東日本大震災の被害状況の市の中間報告では、特に発災当日の夜中に、増加し続ける帰宅困難者により物資が不足する事態が各所で発生し、備蓄物資の切り出しで賄えない状況が出て、必要な物資を各避難所に配送した、とある。この状況についてもう少し具体的に示していただきたい。
そのなかで、特に多数の帰宅困難者が殺到し、物資の備蓄がなかった中央公民館、ここはピーク時で1500人、私も3月11日の夜10時半頃に中央公民館、市民文化ホールの様子を見に伺ったが、その時点で1,200名ほどの帰宅困難者がホール客席からロビー、兎に角、身を横たえるスペースもない、すし詰め状態のなかであてがわれた毛布にくるまって座り込んでいる光景が目に焼き付いている。その時点で食料は配られていなかった。そのほか、船橋フェイスはピーク時120人、きらら、350人とこれら避難所ではどのような状況であったのかということについて伺いたい。
答弁:5,390人の避難者がいた中で、それぞれの避難所で人数把握をしながら、避難者が少なかったところからの調達をしながら配送を行った。しかしながら、一人ひとりに行き渡ったかどうかの確認はとれていないが、今回補正させて頂いた分は避難所ですべて配給したものだ。食料については3月11日、12日で避難所の備蓄倉庫分のほかに菓子パン約9,000個を調達して各避難所に配送したが、当日の混乱のなか物資が届かなかったところもあると報告を受けている。
中央公民館、船橋フェイス、きららホールの状況は、これら施設には備品がないことから、近隣小学校や行田防災倉庫の物資や県から支給された毛布も配布して対応した。
このような震災の教訓を生かした備蓄場所の再検討を行っており、毛布や食料等の備蓄がない施設でも配備できるように、備蓄体制の強化を考えてゆく。