つのだひでお(角田 秀穂)|衆議院議員|中道改革連合
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このブログの目的も私自身の活動の備忘録としての性格が強くなってきています。この投稿も児童虐待防止を考えるなかで過去に訪問した児童養護施設で伺った話の記録です。

 訪問日:平成23年11月15日(火)

 【施設概要】

   設置主体     社会福祉法人

名称         児童養護施設 A

   建物         居住棟 5棟(各4人部屋×1、1人部屋×4)、ほかにショートステイ(2人部屋×3)

   利用定員     児童養護施設40名、ショートステイ6名

 ※児童養護施設とは…児童福祉法41条は、「児童養護施設は、保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」と定義する。

 

 A園は開設以来10年目を迎える比較的新しい施設。従来の大舎制ではなく小舎制を採用しており、1舎当たり8名の児童が共同で暮らしている。

 大舎制:大舎制が最も一般的な施設形態であり、1舎につき20人以上の児童が住んでいる。特徴として、一つの大きな建物の中に必要な設備が配置されており、一般的には一部屋5人~8,男女別・年齢別にいくつかの部屋がある形になっており、食事は大きな食堂で一緒に食べる。共同の設備、生活空間、プログラムのもとに運営されているため、管理しやすい反面、プライバシーが守られにくい、家庭的雰囲気が出しにくいなどの問題点を抱えている。

 小舎制:小舎制は、1舎につき12人までの児童が住んでいる。特徴として、一つの施設の敷地内に独立した家屋がいくつかある場合と、大きな建物の中で、生活単位を小さく区切る場合があり、それぞれに必要な設備が設けられている。大舎制に比べると職員配置など難しい点もあるが、生活の単位が小集団であるために、より家庭的な雰囲気における生活体験を営むことができる。

 【インタビュー】

   A園施設長、A園総務課長

   入所してくる子どもは児童相談所から措置されてくる子ども。措置の理由はもちろん虐待もあるが、「疑いあり」というグレーゾーンも多い。事実確認の難しさがある。

  児相での専門的な診断の結果、児童養護施設に措置されてくるわけだが、いずれも大変な環境に置かれていた児童だ。例えば虫歯だらけ、体に傷を負っている、多くは心にも傷を負っている。人との関係を作るのが困難などなど。

  施設では子どもたちに楽しい経験を積ませることを心がけている。明確な根拠はないが、楽しい経験を数多く積ませることによって、負の部分を小さくできると考えている。そのためには先立つものも必要A園には後援会があり、園の活動を支援してくれている。

  児童養護施設は18歳までしか居られない。昔は大学等への進学率は低かったが、後援会が入学金や授業料を支援してくれる。お陰で今いる子どもたちも「進学できるんだ」と将来に希望が持てるようになってきている。

  Q:里親に引き取られたケースは?

   これまで1例しかない。

  Q:発達障害と診断された子どもは?

   数名いる。

     Q:職員は足りているか?

   足りない。定着しない。人の確保が難しい。職員の配置基準は児童6人に対して職員1人。これは昔の大舎制の基準だが、小舎制になっても変わっていない。休みも満足に取れないため職員が定着せず、採用1年から3年までの職員が半分を占める状況。

  Q:心に傷を負っている子どもたちの行動はどのようなものか?

   愛着障害、親や社会への恨みの感情、学校生活などで親とともに暮らす子どもと我が身を比較して納得できない感情など、その背景はいろいろ言われているが、実際に子どもたちが示す行動は、万引き、金銭を盗む、友達と仲良くなりそうになると自分からわざと関係を壊すような行動をする。暴れる、物を投げる、感情をコントロールできないなど。また、予測できないときにそのような行動をする。

  Q:心に負った傷を癒すための取り組みは?

   難しい。専門機関との連携とともに、職員も勉強しなければならないが、職員が定着しない現状ではそこまでできない。

 

7月30日にサーバのハードディスクが潰れて、直近1年分の投稿が消えました。いま少しずつ復旧しているところです。この際、プラットホームもMovable TypeからWordpressに乗り換えました。

政権与党はなぜぶれるのか?できもしないことを公約して、「財源はどうする」という批判に対しては「そんなものは政権を取ればなんとかなる」とうそぶいて、政権を奪って、結局何もできなくて、挙げ句の果てには「このままではギリシャのようになっていまう」といって増税を持ち出す政権与党。
この間、私自身疑問に思っていたことは、「頭の良い人は民主党にもたくさんいる。弁護士だ、公認会計士だ、医者だ、教授だ、博士だ…。知性の持ち主は掃 いて捨てるほどいるにも関わらず、頭の悪い私が考えても、到底できないことをなぜ国民に公約するのだろう?」ということでした。
あれやこれや考えた末に、これしかないだろうと達した結論は、「上から目線で国民を、いや庶民を見下しているエリート根性がなせるワザなのだ」というこ とです。「できないことは分かっているけれども、この程度のことを言っていれば国民は欺ける。票を稼げる」という根性から発したことなのだということで す。

鳩山首相が辞めるときに語った「国民が聞く耳を持たなくなった」という言葉は、上から目線で国民を見下している人にしか言えない言葉です。そうした民主党の本質は党首が交代した後も何ら変わっていません。 続きを読む

鳩山氏が総理大臣に就任した際に唱えたのは「友愛」の政治でした。
そもそもこの「友愛」とは「EUの父」と呼ばれるクーデンホーフ・カレルギー(※)が提唱し、鳩山氏の祖父・一郎が日本に紹介したものです。
元祖”友愛”のカレルギー氏が今から40年前(1970年)に語った言葉をこの項の最後に書き留めておきます。

「民主主義は、今日二つの大きな危機に直面しています。一つは金権政治です。民主主義のもとでは、民衆は平等の権利をもっています が、しかし権力も平等なわけではありません。たとえば、今の世の中では、富める者のほうが貧しい者よりも権力をもっていることは否定できない事実です。だ から、どうしても民主主義は金権政治へと移行する傾向があります。」
もう一つの危機は、扇動主義です。これはテレビ、ラジオの発達によってますます危険なものとなってきていると思います。というのは、現 行の選挙制度のもとでは、とうてい実現不可能な計画であっても、あえて公約してはばからない政治家のほうが、それを言わない良識派の政治家よりも、当選で きるチャンスが、多分にあるわけです。」
「たんに知性の持ち主であるのみならず、民衆のためにつくす誠実の人でなければなりません。この点は、最も重要な指導者の要件だと思います。(中略)こ れからの指導者は、勇気をもって、金権政治や扇動主義と闘うことのできる人間でなければならないと思います。また、民衆のほうも、より賢明になり、そうし た、優れた人物、指導者を選ばなければなりません。」(以上、「文明・西と東」より抜粋)
当然のことながら、この時、インターネットはまだありません。

※クーデンホーフ・カレルギー 1894年東京・牛込にハンガリー駐日公使の父と日本人の母の間に生まれる。汎ヨーロッパ主義を提唱し、それは後世 の欧州連合構想の先駆けとなった。そのため「EUの父」と呼ばれる。大戦中、ナチスドイツの迫害でアメリカに亡命。「友愛」は、鳩山一郎がカレルギーの著 書を翻訳した際、彼が唱えた愛(フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛)を「友愛」と訳して紹介したのが最初。1972年7月没。

nennkinn1下の表は、新聞社が年金問題についてチームを組んで検討した中で、年金の財源として現行の保険料方式がよいのか、税方式に移行すべきかか、という点について各社の結論をまとめたものです。
朝日、読売は現行の保険料方式を支持し、日経は税方式を主張しています。

年金制度が崩壊する、と一部の政党が盛んに不安をあおっていますが、前号でも書いた通り、今の制度で年金が崩壊することはないということは明らかになっています。
そのうえで、あくまでも年金制度の抜本改革が必要だ、税方式のほうが良いと主張し続ける政党のいうとおりに”抜本改革”したら国民の負担はどうなるのか を示したものが下のグラフです。

左の青い棒が現行の保険料負担の水準、右のオレンジの棒が税方式に移行した場合の負担の水準を示しています。税方式に移行 すれば青い棒の負担がなくなり、変わりにオレンジの棒の負担が生じることになります。一目瞭然ですが、すべての年代で負担が増えてしまいます。(特に年金 受給世帯の負担増が最も深刻です)
ただ、これまで保険料の半額を負担していた企業だけは負担がゼロになります。日経がなぜ税方式を主張し続けるのかは、改めて書く必要もないと思います。
年金保険料を払い終わった高齢者が再び年金の財源負担を税のカタチで強いられることに対する批判を慮ってか、民主党は○公的年金控除の最低補償額を 140 万円に戻す。○老年者控除50 万円を復活する―とマニフェストに記していますが、特に影響が大きい低所得者の負担軽減には役に立ちません。そもそも税はだれにでも中立であるべきだとい う理由をつけて子育て世代の控除は廃止するという一方で、高齢者の控除は膨らませるという一貫性のなさというか、節操のなさは一体どこからくるのでしょう か?

最近、年金に関する相談を数多く受けます。相談を受けて動くなかで、特に民主党が熱心に行っている年金制度が悪い、だから抜本的な制度改正が必要だとい う宣伝は明らかに間違っているという感を強くしています。悪いのは旧社会保険庁の職員をはじめとする役人だ!と叫びたい。そして、その悪い役人が年金機構 に看板を替えた後も、高齢者を泣かせている実態を見るにつけ怒りを覚えます。怒りを覚えますが、年金の問題は本当に冷静な議論が必要だと思い直し、冷静に 書きたいと思います。以下はWEB版に載せなかった「ハローふなばし」の記事です。最初に強調しておきたいのは、年金制度と低所得の高齢者対策は分けて論 ずべき課題であり、ここを混同してはいけない、ということです。
【ハローふなばし 09年8月5日号】

老後の暮らしを支える最も大きな柱である「年金」。そのあり方について各政党がいろいろなことを主張しています。民主党などは抜本的な制度改革が必要と 主張していますが、そもそも政権が変わるたびに年金制度が変わっていては、老後の生活設計などなりたちません。本当に抜本改革が必要なのかというところか ら考えてみました。
年金制度の論点は、現行の仕送り(賦課)方式を維持するのか、それとも老後の蓄えは自分で積み立てるという方式に変えるのか、という問題がひとつ。
そして、もうひとつが基礎年金部分の財源を現在の保険料方式をメインに賄うのか、それとも税金で賄うのかという問題です。
①では、仕送り方式か積み立て方式かについて考えてみます。

現在の年金制度は現役世代が高齢者の年金を保険料のカタチで負担する仕  送り(賦課)方式をとっています。
「いまの年金制度は崩壊する」といった根拠のない話(本当は崩壊などしない)を吹聴する勢力が政治やマスコミのなかで勢いを得るのに歩調を合わせるように、自分が貰う年金は自分で積み立てる積み立て方式にしたほうが確実だと主張する人が目立つようになってきています。
結論からいえば、いまの仕送り方式から積み立て方式に変えねばならない理由は全くありません。

積み立て方式の場合、将来受け取る年金を増やすため積み立てたお金を運用することになります。株を買うのか、国債を買うのか、銀行に定期預金で預けるの か、実際にはこれらの手法を組み合わせて運用することになると思いますが、いずれにせよ、年金を受け取るまでの30年、40年といった期間で果たして何% の利回りで運用できるのかを正確に予想できる人間などいません。
現行の仕送り方式では、いざというとき仕送りする現役世代に「もうちょっとだけ保険料の負担をお願いできないか」という調整は可能です。

現行の仕送り制度にはそのようなことはおこりません。端的にいって積み立て方式は平均寿命以上に長生きすることを歓迎しない制度です。あくまでも個人の 責任において公的年金にプラスする形で自分の貯金を運用するのは全く自由です。ただ、国民の老後の生活を根底で支える公的年金にこの考え方を持ち込むこと は絶対に間違っています。
積み立て方式にすべきでないということを長々と書き連ねてきましたが、積み立て方式のメリットがひとつだけあります。それは、少なくとも年金については政治家が責任を負わなくともよくなるということです。
頭のいい人たちが考えた金融工学の成果を取り入れた絶対に儲かる商品だといわれたのに、サブプライムのせいで受け取る年金額が減ってしまった、「どうし てくれるんだ」という怒りに対して、政治家は「ご愁傷さまです。政治はあしたの株価すらコントロールできません。文句をいわれても困ります。そもそも積み 立て方式の方が良いと判断したのはあなたでしょう」といえばすむようになります。そんな無責任な方式に改めるべきだと主張する政治家には少なくとも税金か ら高い議員報酬を払う必要などないと思っています。
仕送り方式の場合は、受け取る年金額が増えるか減るかは、ひとえに少子化対策・子育て支援政策が効くか効かないかにかかっています。そしてそれは政治が本気で頑張れば何とかできる問題です。

一人の人間が持ちうる問題意識、簡単に言えば、これは何とかしなければいけない、早急に改善しなければいけない、という気持ちを抱く事柄というものは、わずかなものです。どんなに頭の良い人間でもたかが知れています。
一人の人間が持ちうる問題意識が大きな旅行カバン一杯として、世の中の矛盾や不公平というものはヒマラヤほどにたくさんあります。そのなかで政治がなんとかしなければいけない問題も富士山ほどにたくさんあります。
議員と言う立場で多くの方の声を聞くなかで実感していることを書きます。政治に求められるのは、人びとが直面する問題を丁寧に、こまめに拾い上げるフットワークとネットワークであり、それを持たない政党は真に国民のための政治は行えないだろうと考えています。
公明党は、一貫してフットワークとネットワークを身上に、たとえたった一人の声でも国を動かさなければ解決できない問題は国会議員にもつなげるなど、 「一人の困った」を何とかするために多くの議員が関わってきました。古くは教科書の無償配布から児童手当の創設と拡充、白内障手術の保険適用などなど、地 方議員が「一人の困った」という声を国政の場に届けたことによって数多くの実績を積み重ねてきました。いまは3,000人を超える議員が一人の「困った」 を受け止めるために走っています。
こうして積み上げてきた公明党の実績に対するマスコミの評価というものは、極めて限定的です。それは当然なことだろうとも思っています。それだけの問題意識を持ち合わせていないのですから。
「困っている人の声をうんと聞いているんだ」という自負が私たちにはあります。
マスコミの評判が良かろうが(ということはまずない)、悪かろうが「この人の困ったを解決するためには是が非でもやらなければいけない」という強い思いが根底にあればブレることはありません。
また、「この人の”困った”を解決するために必要なことならば他党の政策でも良いものは良いと評価する」という姿勢であれば、野党時代の民主党のように、何でも反対というような「国民のためにどうなのか」という視点を置き去りにした立場もとることはないはずです。
ネットワーク政党を標榜する公明党のいまあり方が100点満点だというつもりはありません(成績をつけるのはあくまでも有権者ですから)。ただ、特にこれからの時代は、「一人の困った」を掬い上げるために汗を流す政党の必要性は益々高まってくると考えています。
話を整理すると、言いたいことは「できもしない政策を掲げる政党を選択すると、国民にとって無益どころか大きな弊害をもたらす」「いまの政治に求められているのは一人一人の声が届く政治」の二つです。

なぜ政権与党の政策はぶれるのか?
話が長くなるかもしれませんので、先に結論から書いてゆきます。
なぜ政権与党(ここでは、ほとんど民主党のことをいっています)の政策はぶれるのか?答えは国民の声を本気で聞こうとしていない、聞く耳を持たないからです。
民主党が掲げる政策は国民目線で本気で検討した政策ではなく、選挙で票を稼ぐにはどうすればよいかという視点で考えた政策、いいかえれば、いまの時代において世論形成に極めて大きな影響力を持つマスコミ受けするかどうか、の視点で考えたもの、しかも、本当に実現できるかどうかは二の次で考えた政策だからです。
票を稼げるかどうか=マスコミ受けするかどうか、で前面に押し出された政策は、マスコミの評判が芳しくない=マスコミ(報道)を見聞きした有権者の評価が下がる=票を稼げない、となれば敢えてその政策を実現しようとは思わなくなります。結果として、やりますと公約していたものを中途半端で終わらる、変えますと公約していたものを結局もとに戻すといったブレが生じます。
有権者にとっては「うまいこと言って、結局だめじゃん」ということになりますが、問題はこれだけではすみません。
例えば子ども手当。どう考えても財源が足りないにも関わらず、民主党は一人当たり月額2万6千円を所得制限なしで支給すると公約して政権を取りました。当然のことながら財源がないため、今年度は一 人当たり1万3千円と公約の半額になりました。しかも全額国費で賄うと言っていた約束も果たせず、地方にも負担を押し付ける羽目になり、ただでさえ厳しい 地方財政をさらに圧迫する結果になりました。こうしたドタバタに対して、子育て世代に対して経済的な支援を行うこと自体に批判の矛先が向けられるように なってしまいました。
「なかなか声にならない子育て世代のお母様たちの経済的な御苦労」を受け止め「必死になって公明党が、児童手当の拡充、財源を探しながら、またそれを見 つけながら、一つ一つひねり出しながらやってきた」子育て支援の大きな柱が、できもしないことを公約した政党のお陰で、「声にならない苦労」がかき消され ようとしています。(参照:子育て支援について考える
普天間飛行場の移設についても、「友愛」を説く鳩山首相の取った行動は結果として人と人との対立を煽っただけです。
選挙で票を稼ぐために、できもしないことを公約する煽動主義の政治がもたらす副作用の深刻さを、いまの政権は見事なまでに示してくれています。