今日(書いているうちに日付が変わってしまうかもしれませんので28日)付けで船橋市議会議員を辞職しました。
理由は12月14日(日)に執行される衆議院選挙に比例区南関東ブロックから公明党の公認を頂いて立候補するためです。日本では原則として公職の兼職(例えば市議会議員をやりながら国会議員をやること)はできないため、自ら辞職せずとも国政選挙への立候補の届け出をした時点で自動的に市議会議員は失職ということになるのですが、悩みに悩みぬいた末に決断して市議会議員として歩んできた16年近くの歳月に自分自身でピリオドを打ちたい、けじめをつけたいとの想いで議長に辞職願を提出しました。
これまでの議員生活を振り返っての率直な感想は「やらせて頂いてほんとうによかった」ということです。日々の活動の中で、実にたくさんの方との出会いがあり、実にたくさんのお話を伺い、実にたくさんの難問に直面し、解決のために奔走した日々。困難の連続でしたが、今思えば、全てが私にとって貴重な財産となっています。
私の議員生活は「カメムシが臭いからなんとかして」から始まり、住まいの問題、福祉の問題、教育の問題、仕事の問題など、様々な相談を受け、現場を見るなかで「こんな問題もあったのか」と思い知らされる毎日でした。
以前にも書きましたが、どんなに頭の良い人間でも、およそ一人の人間の持ち得る問題意識などというものは所詮、たかが知れています。それに対して社会の矛盾や不公平は無数といていいくらいにたくさんある。
現場を歩き、現場の声をくみ上げて、市町村のレベルでは解決できなければ県会議員につなげ、県でもダメなら国につないで解決を目指す。その最前線で活動する公明党の地方議員こそ、最も尊い存在だと思いを深くしていますし、一人の{困った」を国政まで届ける地方議員の活躍なくして、いまの公明党はありえないと思っています。
今回、国政への挑戦を決意させて頂いた理由も、一貫して「大衆とともに」を標榜し結党50年の佳節を迎えた公明党が、真の大衆政党へと成長しゆくために地方から国政へのより強固なネットーワーク構築作業の一翼を担わせて頂きたい、との思いからです。
今回の衆院選は超短期の選挙戦ですが、地方が輝く時代を拓くために戦ってゆく決意です。
追伸 「あなたがあきらめない限り、最後までお付き合いします」と約束した宿題がたくさんありますが、その約束は最後まで果たします。
つのだ ひでお(角田 秀穂)
略歴
1961年3月 東京都葛飾区生まれ。
創価大学法学部卒業。
上下水道の専門紙・水道産業新聞社編集部次長を経て、1999年から船橋市議会議員を4期、2014年から2017年まで衆議院議員を1期務める。2021年10月2期目当選。
社会保険労務士。