相変わらず寒い日が続くものの、季節は着実に別れと出会い春に向かって歩みを進めています。

地元の小学校でも1ヶ月後に卒業式が予定されており、いま、子ども達にどのような言葉を贈ろうか思案しています。

昨年の今頃も同じようなことを考えていました。考えた挙げ句、昨年は以下のような言葉を贈りました。

ここで取り上げたことは、白血病と闘い続けた丹後光佑君のあまりにも短い生涯を綴った「命のアサガオ」によっていますが、そもそもこの本を紹介して下さったのは先輩の倍田賢司議員でした。倍田さんはずっと小児がん征圧のための運動に関わっており、光祐(こうすけ)君のアサガオの種を船橋にもたらしたのも倍田さんでした。倍田さんの話を聞く中で「ぜひともこの話を子ども達に語りたい。この話を通じて人生において何が大切なのかを考えてもらいたい」という思いで、小学校を巣立ってゆく子ども達に贈った言葉です。

祝  辞

六年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。たくさんの思い出の詰まった芝山東小学校を巣立ってゆく皆さんに、保護者を代表してひとことお話をさせていただきたいと思います。

六年前、皆さんが真新しい、大きなランドセルを背負って小学校に入学したとき、どんな気持ちだったか少し思い出してみてください。これから、どんな生活がはじまるのか期待に胸を膨らませる一方で、ちょっぴり緊張もしていたのではないでしょうか。

皆さんと同じような気持ちで小学校の門をくぐった男の子の話を少しさせていただきたいと思います。

いまから十年くらい前の話です。かけっこが得意なひとりの男の子が小学校に入学しました。名前を光祐(こうすけ)君といいます。でも学校には三ヶ月しか通えませんでした。光祐君は小学校に上がる前から白血病という難しい病気と闘い続けていました。春の運動会で五十メートル走を一生懸命走りましたが、夏休み前にとても具合が悪くなり、小学校に通えなくなりました。

病院で看病するお母さんに、熱にうなされながら「お母さんごめんね。ぼく、お母さんに心配かけるために生まれてきたんかな」と言った三日後、七年間の短い命を精一杯生きた光祐君は、お父さん、お母さんに見守られながら息をひきとりました。

光祐君がいなくなって、お母さんはとても、とても悲しみました。

ある日、お母さんは庭にアサガオの花が咲いているのを見つけました。光祐君が小学校で友だちと一緒に種を蒔いたアサガオでした。花が咲くのをとても楽しみにしていたアサガオでした。しばらくして、そのアサガオにたくさんの種ができました。お母さんは思いました「このアサガオはコウちゃんからのたった一つの贈り物なんだ。コウちゃんの花を毎年咲かせよう」。お母さんはアサガオの種を次の年の春に蒔きました。たくさんのアサガオの花が咲き、たくさんの種ができました

「いのちの尊さや、光祐君のような病気を治すために必要な骨髄バンクというものを一人でも多くの人に知ってもらいたい」という思いを込めて、お母さんはアサガオの種を袋に詰めて配って歩きました。

こうして光祐君のアサガオの種は日本中に広まり、この船橋でも、たくさんの小学校で花を咲かせています。

光祐君のお母さんは、各地の小学校をまわりながら、今もこどもたちに語りかけています。

「わたしは、光祐をなくして、初めていのちの重さを知りました。だから自分のいのちを大切にして、いまを精一杯、大切に生きてくださいね。そうすれば他人にやさしくなれるんですから」

光祐君のお母さんの言葉を、きょう卒業する皆さんも、ぜひ、心に刻んで欲しいと思います。

皆さんは自分自身を花に喩えるなら、どのような花になるのでしょうか。アサガオでしょうか、ヒマワリでしょうか、それともスミレでしょうか。いろいろな花があって良いと思います。人のまねをする必要はありません。皆さんが花を咲かせ、実をつけるのはこれからです。それぞれに自分らしい花を精一杯咲かせてください。

お父さん、お母さんはもちろんのこと、地域の方々も、みんな応援しています。卒業した後も応援し続けています。みんなが応援しているということをどうか忘れないでください。

本日はご多忙中のところ、地域の代表のみなさまをはじめ、大勢の来賓のみなさまにご出席いただきました。父母と教師の会を代表致しまして心より御礼申し上げます。

また、最後になりますが、校長先生をはじめ、教職員のみなさまにも厚く御礼申し上げます。

卒業生のみなさん。これからも皆さんを応援し続けます。精一杯、たくましく歩んでいってください。本日はおめでとうございました。

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