本棚から童門冬二の「小説・上杉鷹山」を引っ張りだしてきて読み返した。この小説は何度読んでも飽きず、今回も一気に読み下した。ただ読み返しながら思ったことだが、読み進む中で立ち止まり、書いてあることを反芻し、あれやこれやと思いを巡らす箇所が読むたびに変ってきている。

この小説を最初に読んだのは8年ほど前、まだ議員になるまえのことだが、そのときは何気なく読み飛ばしていた箇所で立ち止まり、考えることが多かったことに我ながら驚いた。私自身の備忘録としても今回立ち止まった箇所をいくつか記録しておきたいと思う。何故か?についてのコメントは特に必要ないと思う。

例えば改革の正否を左右する要因を分析するくだり。『財政が逼迫すれば必ず改革がおこなわれる。あるいは思い切って身を削ぎ、身軽になって、新しい仕事に集中するために、古い仕事を切り捨てるというようなことがある。

そのために、組織を縮小し、人員を減らし、経費を切り詰めるというのは常套手段である。(中略)しかし、藩民のためにおこなう改革は、日々、日常業務の中でおこなわれなければならない。改革、改革と、鳴り物入りで誇大に宣伝して仰々しくおこなうことではない。

地道にコツコツとその当事者が、自分たち生活を成り立たせてくれている人々のために、誠心をもっておこなうべき日常業務のはずである。それぞれの職場において、そこの成員が、討論と合意によって案を生み、よりよい方法を、日常業務として実現していくことが、真の改革なのだ(中略)たとえ財政再建のための改革であっても、その対象となる人々への愛といたわりを欠けば、その改革は決して成功しない』

『改革は何といっても現場が軸になる。その現場がよく理解せずに、ぶすぶす燻ったまま、ただ上から押しつけただけで、仕事をさせられれば、決して納得した仕事ぶりは期待できない。不満が湧き、不平が湧き、それはいずれくすぶって火がつき、狼煙となって別な方向で炎をあげるだろう。』

そして・・・

『どんなに優れた人間にも、好事魔多しというたとえがある。まして権力は魔ものである。権力に永く馴れていると、知らないうちに人間は堕落する。(中略)改革に熱がなく、ただうまく立ちまわって立身出世を願う侍や、儲け主義だけに生きる商人から見れば、改革も単に権力者が交替しただけだ、という皮相的なできごとでしかなかった。(中略)権力とは、所詮、こういう層にとっては、暗黒面での希望を満たしてくれる力なのだ。』

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